2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.564 主イエスの極みの愛を受け取ります

スノードロップ

ヨハネ13:1
さて、過越しの祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分のものたちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。

それは愛を現わす手段でした

それは、イエス様が捕らえられる日のことでした。

ヨハネ13:1
さて、過越しの祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分のものたちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。

「最後まで」とは「極みまで」とも訳せます。

最後の最後まで、ご自分の愛を極みまで、余すことなく…

イエス様は、その愛の現れとして「一人ひとりの足を洗って」くださったのです。

それは「へりくだり」以上のことです。ただ単に「嫌な仕事を引き受けてしもべの役をされた」だけではないのです。

ヨハネ13:8
ペテロはイエスに言った。「決して私の足を洗わないでください。」イエスは答えられた。「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります。」

ペテロにとって、主イエスに足を洗わせるなんて「とんでもないこと」に思えたでしょう。彼は大慌てで拒みます。しかし、それは「極みの愛」を拒否することです。

主イエスの愛を拒否するならば「あなたはわたしと関係ない」と言われてしまうのです。

自分で自分の汚れを落とそうとするのはやめなさい。

日々、恐縮しながらも、そのまま汚れた足を差し出しなさい。

あなたの前に膝をつき、その足を御手にとってくださる方を見つめなさい。

あなたにも「極みまでの愛」が注がれています。その愛を心から受け取りなさい。

仕えるために、与えるために来てくださった方の愛を受け取りなさい。

十字架ですべての血を流してくださった方の愛を受け取りなさい。

豊かさを超えて「極みまで」注がれた、その愛を受け取るのです。

私たちは、その愛を前にして、悔い改めずにいられるでしょうか。

その愛を前にして、自分自身を献げずにいられるでしょうか。

その愛を受け取って、兄姉の足を洗わずにいられるでしょうか。

「足を洗う」ことは「極みの愛」の現れでした。

私たちは、このことによって「へりくだり」が目的ではなく「愛を現わす手段」であることを知ります。

まず、イエス様の「極みの愛」を心から受け取ることです。

日々、主イエスの「極みの愛」を心に染み渡らせることです。

そうして、聖徒のうちに「極みの愛」があふれるようになりますように。

主イエスの愛を受け取った者として、私たちは「互いに足を洗い合う」のです。

主よ、極みの愛を受け取ります
イエス様の愛を日々、受け取ります
極みの愛にあふれる者としてください