ローマ5:3~4
それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
苦難さえもと言っています
パウロは「苦難さえも喜んでいます」と言っています。
「苦難さえも」と言うのですから、「苦難そのもの」を喜んでいるわけではありません。
たとえ「苦難であったとしても」それを喜ぶと言っているのです。
ヘブル書の著者も言っています。
訓練は「そのときには喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるもの」です。
苦難や訓練を「喜ばしく思う」ことのできる人はいないでしょう。
しかし「後になると」これによって鍛えられた人々は「実」を結ぶようになるのです。
イエス様は言われます。
なぜ「義のために苦しむ」ことが幸いなのでしょう。
なぜ「敵を愛する」ことが幸いなのでしょう。
なぜ「呪う者を祝福する」ことが幸いなのでしょう。
なぜ「世をも世にあるものを愛してはいけない」のでしょう。
それは「天においてあなたがたの報いは大きい」からです。
「この世」がすべてであるならば「苦難」を喜ぶことに意味はありません。「この世」での難行苦行は、ただの自己満足です。「この世」で得た誉れは「過ぎ去り」ます。
しかし、もし、あなたが「永遠」のために「今」を耐え忍んでいるならば…
あなたの「忍耐」には大きな意味があります。そこから生み出される「希望」は、いつまでも残ります。
パウロは、今の「苦難」が生み出すものを「知っている」と言っています。
ゆえに「苦難さえも喜ぶ」ことができるのです。
パウロが「苦難さえも喜んでいる」と言ったとき、彼の視線は「苦難そのもの」に向けられてはいませんでした。
パウロは、苦難の先に生み出される「希望」を見ていたのです。彼は「今の苦難がすべて」ではないことを知っていました。パウロには「永遠の視点」がありました。
「苦難さえも喜ぶ」ことができるのは「永遠の視点」に立っている人だけです。
永遠から「すべて」を見なさい。
「今」あるものを見つめていても、そこに本物の「希望」は生まれません。
あなたは、今、「永遠の視点」に立っていますか?
私は、キリストにあって永遠に生きます
私は、天国人です
私は、苦難さえも喜べます

