Ⅰコリント2:2
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
パウロは「決心」したのです
パウロは「十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していた」と言っています。
つまり、ある時点において「十字架のほかは何も知るまい」と決めたということです。
使徒パウロでも「恐れおののく」ことがあるのですね。なんだか少し安心します。
しかし、パウロは「弱さ」を感じつつ「恐れおののき」ながらも、それでも「宣教」をやめることはありませんでした。
ただパウロは、この時「自分の力」に限界を感じたのだろうと思います。アテネにおいては、なかなか「知的に」「力強く」語っていましたが、コリントに到着した時には「そのようには語れない」と感じる「何か」があったのでしょう。
パウロは、自分の「弱さ」と「恐れ」を自覚しました。
しかし「主よ、どうかギリシャ人を納得させるられるように、力強く知恵を持って語れるようにしてください」とは願いませんでした。
むしろ、彼は「すぐれたことばや知恵」を用いるのをやめたのです。つまり「自分の知恵」を捨てたのです。
私は、今すぐ「足し算の祈り」すなわち「増し加えてください」と祈ることをやめなければなりません。
「弱く、恐れおののいて」いるからこそ「強さを」と私は求めます。
「薄っぺらい、説得力がない」と感じるので「知恵を増して」と望みます。
けれど、そうではないのです。
弱さを感じるときには「主が強い」ことを感謝します。
世の知恵に対抗したいと感じるときには「十字架のことば」だけを語るのです。
パウロの「決心」によって、コリントの教会に栄光が現れました。コリントの教会は問題も多くありましたが、確かに「御霊と御力の現れ」にあふれた教会でした。
パウロが「決心した」ように、私も「決心」しなければなりません。
「決心」とは「選ぶ」と言うことです。
あなたは「十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまい」と決心しますか?
「自分の知恵」ではなく「十字架のことば」を選びますか?
私は十字架のことばを選びます
十字架につけられたイエス様以外は知るまいと決心します
弱く恐れおののく私のうちにキリストが現わされます

