2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.554 十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心します

鷹が舞う

Ⅰコリント2:2
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。

パウロは「決心」したのです

パウロは「十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していた」と言っています。

つまり、ある時点において「十字架のほかは何も知るまい」と決めたということです。

Ⅰコリント2:3
あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。

使徒パウロでも「恐れおののく」ことがあるのですね。なんだか少し安心します。

しかし、パウロは「弱さ」を感じつつ「恐れおののき」ながらも、それでも「宣教」をやめることはありませんでした。

ただパウロは、この時「自分の力」に限界を感じたのだろうと思います。アテネにおいては、なかなか「知的に」「力強く」語っていましたが、コリントに到着した時には「そのようには語れない」と感じる「何か」があったのでしょう。

Ⅰコリント2:1
兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。

パウロは、自分の「弱さ」と「恐れ」を自覚しました。

しかし「主よ、どうかギリシャ人を納得させるられるように、力強く知恵を持って語れるようにしてください」とは願いませんでした。

むしろ、彼は「すぐれたことばや知恵」を用いるのをやめたのです。つまり「自分の知恵」を捨てたのです。

Ⅰコリント2:2
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。

私は、今すぐ「足し算の祈り」すなわち「増し加えてください」と祈ることをやめなければなりません。

「弱く、恐れおののいて」いるからこそ「強さを」と私は求めます。

「薄っぺらい、説得力がない」と感じるので「知恵を増して」と望みます。

けれど、そうではないのです。

弱さを感じるときには「主が強い」ことを感謝します。

世の知恵に対抗したいと感じるときには「十字架のことば」だけを語るのです。

Ⅰコリント2:4
そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れでした。

パウロの「決心」によって、コリントの教会に栄光が現れました。コリントの教会は問題も多くありましたが、確かに「御霊と御力の現れ」にあふれた教会でした。

パウロが「決心した」ように、私も「決心」しなければなりません。

「決心」とは「選ぶ」と言うことです。

あなたは「十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまい」と決心しますか?

「自分の知恵」ではなく「十字架のことば」を選びますか?

Ⅰコリント1:18
十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

私は十字架のことばを選びます
十字架につけられたイエス様以外は知るまいと決心します
弱く恐れおののく私のうちにキリストが現わされます