詩篇38:9
主よ 私の願いはあなたの御前にあり 私の嘆きは あなたに隠れてはいません。
それは「うめき」でした
ダビデの身に何が起こったのでしょう。正確には分かりません。
ダビデは何らかの「病」にかかっていたと思われます。そして、ダビデはそれを「自分の愚かさのゆえ」だと認識していたようです。
ダビデのそばには誰もいませんでした。病のために誰も近寄って来ませんでした。ダビデはそれを「身体の距離」としてだけでなく「心の距離」として感じていたように思えます。彼らはみな「遠く離れて」立っているのです。
身体が病むと、心が弱くなりますね。しかし、いつものダビデなら、そのような「弱さ」は、主の御前に出て「弾き飛ばして」しまえたかもしれません。しかし、今回は、そうはできません。
なぜなら「自分の愚かさ」が原因ではなかろうかと狼狽えているからです。
今、ダビデは本当の孤独を味わっています。自分の「義」に立つこともできず、親しい人々は「遠く離れて」います。そして、ダビデの敵たちは「わざわいを願い求めて」いるのです。
ダビデの苦悩の激しさが伝わってくるようです。ダビデは、ただ苦しみのあまり「ことばにならない叫び声」をあげるしかなかったのです。
しかし、ダビデの底力は、どん底のときにこそ発揮されるようです。彼は、ただ「主のご性質」に目を向けます。
ダビデは、自分のことばにならない「嘆き」「うめき」は、主なる神の御前に「隠れて」はいないと言っています。つまり「明らかである」ということです。
主は、私たちが何を望んでいるのか知っておられます。何を求めているのか知ってくださっています。どのような状態なのか、どのような痛みを抱えているのか、すべてご存知なのです。
敵はもちろん、親しい人すら「遠く離れて」いると感じることがあるでしょうか。
自分の愚かさを突き付けられて、御前で「祈りのことばを失う」ようなことがあるでしょうか。
あえて言うならば「衰え果て、砕き尽くされ」ることは幸いです。
私には、自分の「ことば」すら失って、ただ「主イエスの血」によってのみ御前に出るということが必要なのです。上手に祈ることができなくても、ただ「うめき」ながら御前にひれ伏すことが、ときには必要なのです。
主の御前に、あなたの「嘆き」は隠れていません。あなたの「うめき」を主は聞いておられます。
ただ御前にでましょう。主イエスの血のみを携えて。
主は、あなたの嘆きをも聞いてくださいます。主は、あなたをみこころに留められます。
あなたの「嘆き」は、主の御前に隠れてはいないのです。
主はすべてを知っておられます
私の嘆きは隠されてはいません
私の願いも隠されてはいません

