2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.535 考えを変える必要があるのです

空と木

Ⅰサムエル16:7
主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。

主は、サムエルに教えておられたのです

主は、サムエルを「ベツレヘム人エッサイ」のもとに遣わされました。

彼の息子たちの中に「わたしのために王を見出した」と言われました。しかし、その息子のうちの「誰が」次の王であるのかは啓示してくださいませんでした。

サムエルは、エッサイの息子たちに会いました。

Ⅰサムエル16:6
彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、主の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。

エッサイの長男エリアブは、とても格好の良い人だったのでしょう。背の高い魅力的な男性であったのだろうと思います。

サムエルの心には、サウル王の面影が残っていたのだろうなと私は思います。

Ⅰサムエル9:2
キシュには一人の息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。

主は、美しいサウルに油を注がれました。初代イスラエル王は、民の誰よりも背が高く美しかったのです。

ですから、サムエルは、今回も「容貌の良い、背の高いエリアブ」が選ばれると思ったのかもしれません。

しかし、主はサムエルに言われます。

Ⅰサムエル16:7
主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。

サムエルが「彼の容貌や背の高さ」を見ていたことは間違いありません。

しかし、主は「彼を退けて」おられました。主が「わたしのための王」として見出されたのはエリアブではなかったのです。

サウルが美しかったからと言って、次の王も「美しい」とは限りません。逆もまた同じです。「美しさ」が偽りであったなら、今度は「愛嬌で選ぼう」などと言うことにはならないのです(笑)

過去に囚われるのはやめなさい。

昔、失ったものを追い求めるのはやめなさい。

導きを、自分の基準で判断するのはやめなさい。

「以前よりも素晴らしいもの」を捜すのはやめなさい。

主は、サムエルに「考え方を改めよ」と言われたのです。「あなたの見方を改めよ」と言われたのです。

主は、預言者サムエルに「主が見るように見る」ことを教えられました。

主は「うわべではなく、心を見る方」です。

「良いように見えるもの」「素晴らしく見えること」が「みこころ」であるとは限りません。

私たちは「主の心」を求めます。主が「見出されたもの」を見出したいと願います。

ローマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

どうか、私の心が一新されますように。そうして、主が見られるように見ることができますように。

主の選択を信頼します
私の心を、主の御思いで満たしてください
見えるところではなく信仰によって歩みます