2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.527 導きを求めるときには「物と事」から、まず目を離すのです

朝もや

創世記13:11
ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へと移動した。こうして彼らは互いに別れた。

ロトはヨルダンの低地を選びました

ロトは「ヨルダンの低地全体」を選びました。そこは「よく潤っていた」からです。

創世記13:10
ロトが、目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったので、その地はツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの地のように、どこもよく潤っていた。

ロトの選んだ地は「主の園」のように「エジプトの地」のように潤っていたと聖書は言います。

面白い書き方だなぁと思うのです。

「エデンの園」のような場所であれば、おそらく「みこころ」だろうと思ってしまいますよね。

しかし、そこは「エジプトのよう」でもあったのです。となると、いくら潤っていても「この世の友」にはなれないし「みこころ」ではないのかもしれないなと思います。

ロトが、どのように考えたのかは分かりませんが、もし、私であれば「主の園のような」「エジプトの地のような」場所を見つめて途方に暮れてしまったでしょう。

私たちは、ロトの話の結末を知っています。ロトは、結局「ソドム」に住むようになります。そして、主は「ソドム」を滅ぼされるのです。

アブラムとロトの最も大きな違いは「選ぶもの」の違いです。

そもそもアブラムは「どこに行くのか」を問題にはしていません。ロトに選ばせたのは「どちらでもよかった」からです。右でも左でも「カナンの地」であれば良かったのです。

ロトは「潤った地」「素晴らしい地」を選びました。つまり、彼の目は「土地」に向けられていたのです。

ロトは「自分のために」最も良いと思われる「土地」を選びました。

アブラムは「約束のために」最も良い方である「主」を選びました。

「主の園のような」「エジプトの地のような」ものを見つめるのはやめなさい。それは、あなたの「決断」を鈍らせます。

「物と事」に目を受けている限り、私たちの目は惑わされ続けます。「物と事」を見つめ続けるなら、決断した後もずっと「この決断は正しかったのかしら」と迷い続けることになるでしょう。

ロトが選ぶべきは「主ご自身」であったのです。大切なことは「どこに行くか」ではなく「誰と行くか」なのです。いくら「潤った地」であっても、そこに「主ご自身」がおられないならば確実に滅びます。

導きを求めるときには「物と事」から、まず目を離すのです。

そして、ただ「主ご自身」に目を向けるのです。

「主よ、私はあなたご自身を選びます。何かでも誰かでもなく、ただ主ご自身を求めます。みこころにお導き下さい」と申し上げればよいのです。

私たちは、信仰の父であるアブラハムの道を歩みましょう。

「約束」を見つめ「主ご自身」を選んで歩みましょう。

主よ、私はあなたを選びます
主の約束を見つめます
主の道を歩ませてください