詩篇73:1
まことに 神はいつくしみ深い。イスラエルに 心の清らかな人たちに。
心が苦痛で満ちるときがあります
アサフの心は「苦み」で満ちてしまいました。彼の足は滑りかけていました。
アサフの目は「悪者」が栄えるのを見たのです。そのことが、彼の心に「苦み」をもたらしました。
この気持ちは、とてもよく分かりますね。
なぜ「主のしもべ」に対して「悪者」は、傲慢に振る舞うのでしょう。
真面目に不正もせず働いている聖徒が虐げられ、見下され、隅に追いやられているのに、彼らは「栄えて」いるのです。
彼らは「傲慢に語り」ます。自分が天地を創造したかのように横柄に振る舞います。
そうして言うのです。
「神などいない」「神は見ても何もしない」と。
アサフの心が「ねたみ」で満ちたように、私の心も「苦々しさ」でいっぱいです。
なぜ、主は何もしてくださらないのでしょう。聖徒は「特別に扱われる」とダビデも言っているのに。
どうして、いつまでも「あの人」は偉そうに私を虐げるのでしょう。いつまで「理不尽な扱い」に耐えねばならないのでしょう。こんなにも祈っているのに、主は聞いてくださっているのでしょうか。
アサフは自分の状態について言っています。
「苦々しさで満ちた心」「考えのない心」とは「獣の心」です。
アサフは、主の御前で「自分は獣のようであった」と告白しているのです。
そして、私もまた同じです。私は、自分の心が「獣のよう」であることを認めて告白せねばなりません。
私は、自分の「獣の考え」の代わりに「主がどのような方であるか」を心に刻み付けなければなりません。
まずは「悪者」から目を離すことです。
「悪者」が「何をするか」「どのような状態か」に目を留め続けるのをやめることです。
「神はいつくしみ深い」とは、原語では「良い」「好ましい」「善いことをする」「楽しくする」などと訳すことができます。英語では「God is good」と訳されています。
主は「いつくしみ深い」のです。主は「よい方」です。そして、主は「善きことをされる方」です。
私を「楽しくする」ことがお出来になります。
私は「主の真実」に目を留めなければなりません。主の「誠実さ」を信じなければなりません。
今、目の前で行われていることの背後に、必ず「主の御手」があることを信じなければなりません。
私は「主」が「どのような方であるか」を見続けます。
今、目を天に向け、主が真実であることを告白します。主が「善い方」であることを告白します。
まことに、主は、私に「いつくしみ深い」ことを告白します。
主の真実は大盾です
私は、主を見つめます
主のために生かされているのです

