2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.523 詩篇73篇その① 主がいつくしみ深い方であることを告白します

聖書と栞ひも

詩篇73:1
まことに 神はいつくしみ深い。イスラエルに 心の清らかな人たちに。

心が苦痛で満ちるときがあります

アサフの心は「苦み」で満ちてしまいました。彼の足は滑りかけていました。

詩篇73:3
それは 私が悪しき者の栄えるのを見て 誇り高ぶる者をねたんだからだ。

アサフの目は「悪者」が栄えるのを見たのです。そのことが、彼の心に「苦み」をもたらしました。

この気持ちは、とてもよく分かりますね。

なぜ「主のしもべ」に対して「悪者」は、傲慢に振る舞うのでしょう。

真面目に不正もせず働いている聖徒が虐げられ、見下され、隅に追いやられているのに、彼らは「栄えて」いるのです。

詩篇73:8
彼らは嘲り 悪意をもって語り 高い所から虐げを言う。

彼らは「傲慢に語り」ます。自分が天地を創造したかのように横柄に振る舞います。

そうして言うのです。

「神などいない」「神は見ても何もしない」と。

アサフの心が「ねたみ」で満ちたように、私の心も「苦々しさ」でいっぱいです。

なぜ、主は何もしてくださらないのでしょう。聖徒は「特別に扱われる」とダビデも言っているのに。

どうして、いつまでも「あの人」は偉そうに私を虐げるのでしょう。いつまで「理不尽な扱い」に耐えねばならないのでしょう。こんなにも祈っているのに、主は聞いてくださっているのでしょうか。

アサフは自分の状態について言っています。

詩篇73:21~22
私の心が苦みに満ち 私の内なる思いが突き刺されたとき 私は愚かで考えもなく あなたの前で 獣のようでした。

「苦々しさで満ちた心」「考えのない心」とは「獣の心」です。

アサフは、主の御前で「自分は獣のようであった」と告白しているのです。

そして、私もまた同じです。私は、自分の心が「獣のよう」であることを認めて告白せねばなりません。

私は、自分の「獣の考え」の代わりに「主がどのような方であるか」を心に刻み付けなければなりません。

まずは「悪者」から目を離すことです。

「悪者」が「何をするか」「どのような状態か」に目を留め続けるのをやめることです。

詩篇73:1
まことに 神はいつくしみ深い。イスラエルに 心の清らかな人たちに。

「神はいつくしみ深い」とは、原語では「良い」「好ましい」「善いことをする」「楽しくする」などと訳すことができます。英語では「God is good」と訳されています。

主は「いつくしみ深い」のです。主は「よい方」です。そして、主は「善きことをされる方」です。

私を「楽しくする」ことがお出来になります。

私は「主の真実」に目を留めなければなりません。主の「誠実さ」を信じなければなりません。

今、目の前で行われていることの背後に、必ず「主の御手」があることを信じなければなりません。

私は「主」が「どのような方であるか」を見続けます。

今、目を天に向け、主が真実であることを告白します。主が「善い方」であることを告白します。

まことに、主は、私に「いつくしみ深い」ことを告白します。

主の真実は大盾です
私は、主を見つめます
主のために生かされているのです