詩篇23:3
主はわたしのたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます
たましいは回復されなければなりません
主は「たましいを生き返らせ」てくださる方です。
ここで「生き返らせる」とは、原語では「立ち返る」「悔い改める」「戻る」「帰る」などいう意味があります。「回復する」「復元する」「連れ戻す」などと訳されることもあります。
主は、私たちの「たましい」に関心を持っておられます。私たちの「たましいの状態」を気にかけてくださいます。
放蕩息子を取り戻した父親は言います。
放蕩息子は、実際に「死んでいた」わけではありません。しかし、父親にとっては「目の前にいない息子」は「死んだも同然」であったのです。
放蕩息子は、父親のもとに帰って「本来の姿」を取り戻します。
何もかも失い落ちぶれて、豚のエサを物欲しそうに見ている姿は、彼の「本来の姿」ではないのです。
父親は、一番良い服と指輪と靴を息子に与えます。それが息子にふさわしい姿だからです。
主が「たましいを生き返らせる」とき、それは「完全な回復」を意味します。
主は、ただ「連れ戻す」だけでは満足されません。主はあなたを「回復」されます。あなたを「ふさわしい状態」にまで引き上げられます。
主は、あなたを目的をもって創造されました。あなたを個性的に造られました。主は、あなたをご自身の喜びとして造られました。あなたこそ、主の目の楽しみなのです。
あなたの「たましい」は、主が造られた「本来の姿」でしょうか。
主は、あなたが「みじめな姿」でいることを望まれません。「そこそこの状態」に甘んじていることを望まれません。「傷ついている」ことを悲しく思っておられます。「汚れ」を洗ってあげたいと待っておられます。
あなたの「たましい」は、今、どのような状態ですか。
主は、あなたを取り戻し、あなたを本来の姿に戻したいと願っておられます。
私たちは、たましいの大牧者のもとに行きましょう。
主とともに、緑の牧場に行きなさい。水のほとりで憩いなさい。主はそこで、あなたの「本来の姿」について語ってくださいます。あなたは、そこで「回復」されます。そうして「本来の姿」を取り戻すのです。
主は、あなたを「回復」させることを喜びとされます。
ちりを払い落として立ち上がりましょう。
あなたはもっと大胆に自由に生きることができるのです。
主よ、私を回復してください
本来の私を教えてください
私は、ちりを払って立ち上がります

