2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.510 彼女は「多く」愛したのです

夕暮れの空

ルカ7:44
それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。私があなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。

足りないものは愛でした

シモンというパリサイ人が、イエス様を食事に招きました。

イエス様は、彼の招きに応じられ、一緒に食卓に着かれました。

シモンは愛想よくふるまい、何の問題もないように見えました。

しかし、ある女性が入って来て、その場の雰囲気は一変します。

ルカ7:37
すると見よ、その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓についていることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。

彼女は、イエス様の足もとに座り、その御足を涙で濡らしました。髪の毛でぬぐい、口づけし、香油を塗りました。

それを見ていたシモンは心の中で思ったのです。

ルカ7:39
イエスを招いたパリサイ人はこれを見て、「この人がもし預言者だったら、自分に触っている女がだれで、どんな女か知っているはずだ。この女は罪深いのだから」と心の中で思っていた。

イエス様は、心の中で、ご自身を「値踏み」しているシモンを見て言われました。

ルカ7:44
それから彼女の方を向き、シモンに言われた。「この人を見ましたか。私があなたの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でわたしの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐってくれました。

シモンの家には、何もかもがそろっていました。食卓には、ごちそうがたくさん並んでいたでしょう。

どのような意図があったにせよ、シモンは立派に食卓を整えていたはずです。誰から見ても恥ずかしくないように、精一杯の用意をしただろうと思います。

しかし、そこには「愛」が欠けていました。「思いやり」も「礼儀」も欠けていたのです。

愛する兄弟姉妹。

私たちは「何を持って」イエス様と食卓をともにするでしょう。

私たちは「何を持って」礼拝に集うでしょうか。

「立派な会堂」も「良い賛美」も「良いメッセージ」も、すべて揃っているかもしれません。

しかし、そこに「涙」はあるでしょうか。

誰に何と思われようと、ただ「主の御足」のもとにひれ伏す「心」はあるでしょうか。

「罪深い」と呼ばれる女性の行為を、イエス様は「愛」であると認められました。

ルカ7:47
ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから、赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。

彼女は「多く愛した」のです。「罪深い」からこそ多く愛したのです。

必要なのは「愛」です。

イエス様への「愛」を持たずに礼拝をささげることはできません。

「愛」をささげましょう。

主は、あなたの「愛」を求めておられるのです。

主よ、涙をもって御前に出ます
主よ、心からの愛をもって礼拝します
あなたの御足のもとにひれ伏します