2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.508 いと高き方の隠れ家に住む者は幸いです

隠れ家

詩篇91:1
いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。

隠れ場に住む者となりたいのです

「隠れ場」とは「秘かなところ」という意味です。ある人は「至聖所」のことだと言います。

「いと高き方の隠れ場」と「全能者の陰」とは、同じ意味です。つまり、別の言い方で「同じこと」を強調しているのです。

イエス様は、日々、忙しく働いておられました。押し寄せてくる群衆に、神の国について教えられました。病を癒し、悪霊を追い出し、人々を養われることもありました。

しかし、それでも「一人で寂しい所で祈る」ことを欠かされませんでした。

いと高き方の隠れ場に「住む」こと、全能者の陰に「宿る」ことがイエス様にとって最も大切なことでした。

「住む」とは、時々、会いにやって来るということではありませんね。そこは「暮らす場所」です。

「宿る」とは「とどまる」「憩う」「眠りにつく」という意味です。

イエス様は「人の子には枕する場所もない」と言われました。

しかし、イエス様は「いと高き方の陰に住む」ことを知っておられました。夜空の下で眠ることがあったとしても「全能者の陰に宿って」おられました。

イエス様は、いついかなる時も「いと高き方の陰」に住んでおられました。地上で人として生きられましたが、決して聖霊の臨在から離れることがありませんでした。御霊が、鳩のようにイエス様の肩に降られた日から、ずっと、その臨在とともに歩まれたのです。

そして、それこそ「全能者の陰に宿る」ということです。

私たちは、イエス様が地上を歩んでおられたときのように生きることができます。

片時も「聖霊」から離れず「全能者の陰に宿り」続けることができるのです。

それには「求め」が必要です。

詩篇27:4
一つのことを私は願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り 主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ その宮で思いを巡らすために。

主の麗しさに「目を注ぎたい」と願うことです。

「何か」を得るためではなく「主を見ること」を求めることです。

日々、その「隠れた場」で全能者と秘かに会うことです。

そして「あなたこそ私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません」と告白することです。

それが、あなたの「砦」となります。

そこで、あなたは聖霊の力に帯びます。

全能なる神は、私たちの告白に耳を傾けてくださいます。そして、言われるでしょう。

詩篇91:14
彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。

主は、あなたの愛をすべて受け留めてくださいます。

あなたが、全能者を「住まい」とするならば、あなたは「守られ」ます。

主は、ご自分のものを完全に守ることがおできになる方です。

主よ、あなたこそ私の幸いです
私は、あなたとともに住みたいのです
あなたの麗しさを仰がせてください