ルカ8:50
これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われます。」
恐れないでと言われます
それは、すでに遅かったのです。
それは、絶望の知らせでした。ヤイロの心中は察して余りあります。
せっかくイエス様に会えたのに…
もう少しで辿り着けたのに…
途中で割り込みが入らなければ…
イエス様がもう少し急いでくださったなら…
何を言っても、どれだけ悔いても、何の役にも立ちません。すべてが終わってしまったのです。
私たちにも、そのようなことが起こります。
何が悪かったのか…
どうすれば良かったのか…
悔いても悔やみきれない、言っても仕方がないけれど言わずにはおられない…
終わってしまったこと、失ってしまったもの…
あのとき、なぜイエス様は助けてくださらなかったのだろうと思うことが、私にもあります。
ヤイロの娘さんは、イエス様が来られる前に亡くなってしまいました。
ヤイロが、足もとから崩れ落ちてしまいそうになった、その時、イエス様が言われました。
「恐れないで、ただ信じなさい」
それは、とても力強いことばであったに違いありません。
普通であれば、そんなことはとても信じられません。実際、「娘は眠っているのだ」とイエス様が言われた時、他の人々はあざ笑ったのです。
しかし、ヤイロは信じました。イエス様のことばの力強さが、彼の心に信仰を湧きあがらせたのだと私は信じます。
愛する兄弟姉妹。
主のみことばを聞きましょう。
あなたに語られる「力強いことば」があるのです。あなただけに語られる「主のことば」が必ずあります。
それを聞くのです。そうすれば、自分でも理解できない「信仰」が心の底から湧きあがるのを感じることができます。
絶望の知らせは、私たちを恐れさせます。その知らせを「何度も何度も」心で繰り返すたびに、私たちのたましいに「恐れ」が刻み付けられるのです。
「もう終わりだ」「すでに遅い」という声を、私たちは幾度も聞きます。その声を私たちは心の中で、何度も再生させています。
今、その再生を止める時です。
そして、イエス様の声を響かせるのです。
他の人は、あざ笑うかもしれません。
「そんなことは無理だ」
「失ったものは取り戻せない」
周囲の人は、そんな風に言うかもしれません。自分の心も、それに同調するかもしれません。
しかし、それでも私は信じます。私は信じたいのです。
「恐れの知らせ」を退けて、イエス様のことばを宣言して歩みます。
「恐れないで、ただ信じなさい」
私たちは、信じましょう。
信じるならば、必ず奇跡を見ることになります。
私は、恐れを退けます
主に不可能なことはないと宣言します
私は、必ず奇跡を見ます

