Ⅱコリント5:21
神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
それは交換です
イエス様は「罪を知らない方」です。しかし、私たちのために「罪」とされました。
それは「私たちがこの方にあって神の義となるため」です。
つまり、十字架の上で「交換」が行われたのです。
主が「罪」となられたので、私は「義」とされました。
主が「貧しく」なられたので、私は「富む者」とされました。
主が「病」を負われたので、私は「癒し」を受けました。
主が「苦しまれた」ので、私は「平安」を得たのです。
主が「情欲や欲望」を持っていかれたので、私は「聖く」生きることができるのです。
今「差し出しなさい」と主は言われます。
なぜなら、あなたが「持っていてはいけないもの」があるのです。
主が「すべての悩み」を背負ってくださったのに、なぜ、あなたは「悩み」を持ち続けているのでしょう。
主が「痛み」を負われたのです。あなたは、それを「自分のもの」にしていてはなりません。
「交換」するためには「差し出す」ことが必要です。
あなたは「苦しみ」と「平安」を同時に持つことはできません。
どちらかを手放す必要があるのです。もちろん「苦しみ」ですよね。
もう「苦しみを取り去ってください」と祈るのはやめましょう。「平安」を与えてくださいと祈るのも終わりです。
私たちが、しなければならいのは「交換」です。「苦しみ」を差し出すことです。
「主よ、この苦しみを差し出します。あなたの平安と交換します。平安を感謝します」と言うのです。
主は「罪」となることさえ、あなたのために忍ばれました。すべてを十字架につけて、すべてを背負って死んでくださったのです。
あなたは「罪」を持ち続けてはなりません。あなたは「義人」です。
「痛み」も「苦しみ」も持ち続けてはなりません。「平安」はあなたのものです。
「病」も「傷」も仕方がないことではありません。「癒し」はあなたのものなのです。
「孤独」も「拒絶」も、当然のことではありません。「主の愛」はあなたを取り囲んでいるでしょう。
すべてを「差し出し」なさい。すべて「交換」するのです。
実際には「交換」はすでに完了しているのです。イエス様は「完了した」と言われたではありませんか。
受け取るために必要なことは「差し出すこと」だけです。
つまり「主よ、もうこれは必要ないのです。これはいりません。あなたが持って行ってください」と言うことです。
そして、主が差し出される「良いもの」を代わりにいただくのです。必ずいただいてください。「交換」なのですから。
信じて、ただ告白してください。ただ、信じて「受け取る」のです。そして「交換」を感謝するのです。
そうすれば、それはあなたのものとなります。
主よ、不必要なものを持っていることを赦してください
もう、必要ありません。
交換してくださったことを感謝します

