【マルコ1:15】
時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。
聖書箇所を読んで設問に答えてください。
問題を解くには、聖書が必要です。
(新改訳2017を使用しています。)
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WEB版は簡易バージョンです。
完全バージョンは「Step6」まであります。
完全バージョンは下記からダウンロードできます。
Step 1 主の道を用意すること
①マルコ1:14~15を読んでください。
(15節)
何をして福音を信じなさいと言われましたか?
② 使徒2:37~38を読んでください。
(38節)
罪を赦していただくためには何をしなければなりませんか?
③ Ⅱペテロ3:9を読んでください。
(9節)
主がすべての人に望んでおられることは何ですか?
④ ルカ3:3~6を読んでください。
(4節)
荒野で叫ぶ者の声は何と言っていますか?
(5節)
まっすぐな道とは、どのような道ですか?
心を「まっすぐ」にするとはどういう意味だと思いますか?
「谷」や「丘」は何を意味すると思いますか?
あなたの心に「谷」や「丘」はありますか?
悔い改めが先なのです
荒野で叫ぶ者の声とは、バプテスマのヨハネのことです。ヨハネは「罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ」を宣べ伝えていました。
「悔い改め」が「罪の赦しに導く」のです。私たちは心の道を「まっすぐ」にしなければなりません。曲がった道やでこぼこ道は補整されなければなりません。
主は、すべての人が「悔い改め」に進むことを望んでおられます。すべての人の罪が赦されるためです。イエス様は「悔い改め」そして「福音を信じなさい」と言われました。
「悔い改め」が先なのです。
私たちは、イエス様の福音を信じて「永遠のいのち」を得ます。しかし、「悔い改め」ないなら「信じる」ことはできません。
Step 2 放蕩息子に学ぶ悔い改め
①ルカ15:11~24を読んでください
(13節)
弟息子は財産をどうしましたか?
(16節)
何もかも使い果たした弟息子はどのような状態でしたか?
(18節)
我に返った弟息子は何を決心しましたか?
(20節)
彼(弟息子)は立ち上がってどこに向かいましたか?
(20節)
父親は彼(弟息子)を見つけてどうしましたか?
なぜ、弟息子は我に返ったのだと思いますか?
あなたは我に返った瞬間がありますか?
放蕩息子にみる「悔い改め」の姿
① 我に返りました
自分の状態に気が付きました。
飢えて、みじめで、孤独な自分を見ました。
このままではダメだと悟りました。
② 考えを改めました
自分の生き方は間違っていると認めました。
生き方を変えたほうがいいと思いました。
父のもとへ帰ろうと考えました。
③ 決断しました
生き方を変えようと決めました。
この場所から去ろうと決めました。
父のところへ帰ると決めました。
④ 実際に向かいました
立ち上がって実際に向かいました。
私たちは、弟息子の行動から学ぶことが出来ます。悔い改めには4つのことが必要です。
②と③は同じだろうと思わないでください。
ステップを飛ばしてはいけません。
つまり、よく考えないで「悔い改め」の表明だけをしても意味がないということです。
その表明は長続きしないでしょう。
よく「考えて」そして「決断」してください。 天の父なる神様は、喜んであなたを迎えてくださいます
Step3 神に立ち返ること
①エペソ2:1~3を読んでください
(1節)
私たちは、どのような者であったと言われていますか?
(2節)
かつては、何に従って歩んでいましたか?
(3節)
私たちは、どのように生きていましたか?
何を受けるべき子らであったと言われていますか?
② 使徒26:14~20を読んでください。
(18節)
誰の支配から神に立ち返るのですか?
③ ルカ1:71を読んでください。
(71節)
この救いは何からのすくいですか?
④Ⅰペテロ2:9を読んでください。
(9節)
神様は私たちを何の中に召してくださいましたか?
救われるとは「立ち位置」が変わることです
「悔い改め」とは、向きを変えて神のもとへ行くことです。 私たちは、どこから神のもとへ行くのでしょう。 私たちは、サタンの支配から神へ立ち返るのです。
私たちは「悔い改めて」「福音を信じること」によって救われます。 救われるとは、「敵」から救われるということです。「敵」とはサタンのことです。 神は、私たちを「闇」から「ご自分の光の中」へと召してくださったのです。
私たちの「立ち位置」は変わりました。
覚えてください。
「悔い改め」によって神のもとへ来たら、「この世」のものではありません。闇から光へ移されました。サタンの支配から神の統治へと移されました。「この世の民」から「神のものとされた民」とされたのです。向きを変えて走っていく先は、唯一の神のもとです。 私たちは、「神のものとされた民」つまり「天国人」となったのです。
しかし、私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ3:20)