黙示録8章13節
また私は見た。そして、一羽の鷲が中天を飛びながら、大声でこう言うのを聞いた。「わざわいだ、ざわいだ、わざわいが来る。地上に住む者たちに。三人の御使いが吹こうとしている残りのラッパの音によって。
第四のラッパまでは自然災害と呼べます
前回は、第一、第二、第三のラッパが吹き鳴らされたところまでを学びました。
少し中途半端なところで終わってしまいました。と言うのも、七つのラッパのわざわいは「二つに分かれて」いるからです。
第一のラッパから第四のラッパまでが「一区分目」です。(前回は第三のラッパで終わってしまいました。)
そして、第五のラッパから第七のラッパまでが「二区分目」となります。
「一区分目」のわざわいは、自然災害と呼べるものです。
そして、「二区分目」は、悪魔的なわざわいと呼ぶべきものです。
「二区分目」のわざわいは、後で学びます。
まずは、前回の復習もかねて、「一区分目」のわざわい、つまり「第一のラッパから第四のラッパ」を見ていきたいと思います。
まず、第一のラッパです。
第一のラッパが吹かれると「地上の植物」が災害にあいます。「地」が激しく焼かれるのです。
続いて、第二のラッパが吹かれます。
第二のラッパが吹かれると「海」が血のようになります。赤潮が発生するのか、何か外部からもたらされる異変なのか、それはわかりません。
しかし、海に生きるものの三分の一が死にます。また、海の上にある船の三分の一が壊れます。
第三のラッパは「苦よもぎ」のわざわいです。
この落ちてくる星の名前が「苦よもぎ」でしたね。第三のラッパが吹かれると「苦よもぎ」と呼ばれる星が落ちて来て「川」が災害を受けるのです。水源が汚染され、人々は毒の水を飲んで死に至るのです。
そして、第四のラッパが吹かれます。今回は、ここから学んでいきます。
第四のラッパが吹かれると「天体」に異変が起こります。
「太陽」「月」「星」が輝きを失うのです。それも「三分の一」です。
ここで想像できることは、地球におびただしい数の隕石が降り注ぎ、その破片が埃や大気中に舞い上がり、太陽と月と星の光をさえぎってしまうことです。
黙示録の封印を解く チャック・スミス/デビット・ウィンビッシュ共著 プリズム社
隕石であるかどうかは分かりませんが、何らかの事象が起こって「自然の光」を遮ってしまうのだろうと思います。
私は、この箇所を「自然の光が暗くなる」と解釈しました。つまり「ぼんやり暗くなる」ようなイメージを持っていました。しかし、そのことがもたらす影響までは想像したことがありませんでした。
第四のラッパのさばきでは、事実上、一日が短くなります。昼の場合は太陽の三分の一が打たれ、夜の場合も、月と星が三分の二しか光を放たなくなるからです。その結果、人々の労働時間は通常の三分の二に短縮されてしまいます。すでに第一のラッパで、食料の三分の一がなくなり、そのうえ、今度は農作業をする時間が通常の三分の二しかなくなるのですから、食料を増産することもできません。
黙示録 J・B・カリー著 伝道出版社
確かに、光が失われることによって農作物は大打撃を受けるでしょう。また光と鬱病には関係があるなどとも言われますから、精神的に弱ってしまう人もいるかもしれません。
神の光を拒絶した世界から、光が奪われていくように見えます。
「これに打ち勝たなかった」とは、別訳では「これを理解しなった」または「これを悟らなかった」です。
光を悟らないならば、闇をはびこらせることになります。光が輝くためには、光を理解することが必要なのです。
太陽の三分の一が光を失っても、それでも、世界は機能し続けるでしょう。これは、まだ終わりではありません。人々は、そこで、まだ生かされているのです。
七つのラッパのうち「第一から第四までのラッパ」が吹き鳴らされました。
それは、おもに「自然災害」と呼べるわざわいをもたらしました。この地にわざわいが起こったのです。多くの人が、その災害によって被害を受けます。いのちを落とす人もいます。
十分にひどい災害が起こりました。しかし、中天を飛ぶ鷲は「それ以上のわざわい」が来ることを告げています。この「鷲」と「中天」についても、学びたいなぁとは思いましたが、時間の都合上、残念ですが割愛します。また、機会があれば学びましょう。
さて、話を進めましょう。
残りのラッパの音、つまり「第五から第七のラッパ」によってもたらされる「わざわい」は、今までのものとは違うのです。
その「わざわい」は「地上の者たち」に及びます。それも、今度は直接「人間」に害が加えられることになります。そして、それは、かなり「悪魔的」です。
「三つのわざわい」が来ます。
ここまでで、黙示録8章の学びは終わりです。
続けて9章を学んでいきます。
黙示録の9章は「黙示録の中でも最も解釈の難しい箇所」と呼ばれたりもします。確かに、正直に言って「さっぱり」分かりません。
しかし、いつもの通り「分からないことは分からないこと」として読み進めていきましょう。
第五の御使いがラッパを吹きます
さて、黙示録9章です。ここから少し雰囲気が変わってきます。
「第五の御使い」がラッパを吹きました。
すると「一つの星」が天から落ちます。
使徒ヨハネには「星」に見えた「天から落ちた一つの星」は、実際の星でないことは明らかです。
なぜなら、この「一つの星」に「底知れぬ所に通じる穴の鍵」が与えらているからです。この「一つの星」には「知性」「意志」があるのです。つまり「開くために鍵を用いることのできる存在」であるということです。
そして、もう一つの理由は、「その星には」と訳されている言葉です。日本語では「その星には~与えられた」と訳されていますが、英語の聖書(KJV)では「彼に~与えられた」と訳されています。原語を見ても「彼に」と訳すことは可能です。
この「一つの星」が、知性を持った何か(誰か)であることは、後の聖句から見ても間違いないでしょう。
ここで覚えておく必要のあることは、この「一つの星」が天から落とされたことこそ「わざわい」であるという事実です。もしくは「わざわいの始まり」です。
この「一つの星」は、この時点まで「天」のどこかにいたのです。とにかく「落ちる」と言われているのですから「高い所」にいたことは確かでしょう。
この「一つの星」が何で(誰で)あるかは、後ほど考えていきます。
今は、この「一つの星」が何をするのかを見ていきましょう。
「一つの星」は、与えられた鍵を躊躇なく用います。
「底知れぬ所に通じる穴」が開かれます。
「底知れぬ所」とは、文字通り「底がない縦穴」という意味です。どこまでも続く穴があるのです。
私は、これは実際に存在する「穴」であると信じています。
悪霊たちは、その穴の存在を知っています。そして、そこには行きたくないと思っているのです。
地獄は、まだ開かれていないので「底知れぬ所」は地獄ではありません。
はっきりと「どこ」「何」ということは分かりませんが、確かに存在するのです。
恐らく、千年王国の間、サタンが幽閉されるのは、この「底知れぬ所」なのではないかと思います。
そして、今、多くの悪霊たちが縛られている場所なのではないかと思います。
これは、個人的な意見ですが…
今、悪霊たちは「自由?」に動き回っている者と、閉じ込められている者に別れているのではないかと考えます。「大いなるさばき」とは「最後の審判」のことかもしれませんが、もしかすると、大患難のさばきのことかもしれないなと思ったりもするのです。
さて、「一つの星」が「底知れぬ所」を開くと、ものすごい煙が立ち上るようです。太陽と空が暗くなるほどの煙です。地上に生きている人たちが気づくほどの異変が起こります。
そして、その中から、また異様なものが現れます。
煙の中から現れたのは「いなご」です。つまり「虫」ですよね。
しかし、通常の「イナゴ」とは違うようです。それらには「サソリ」のような力が与えられていました。
サソリは、人を刺します。しかし、サソリの毒は人を死に至らせることは、ほとんどないと言われます。ただ刺された痛みはひどく、患部は腫れ上がるそうです。それも種類によるようです。
自然界にいる普通の「イナゴ」は、人を刺すことはありません。しかし、底知れぬ所から出て来た「いなご」は人を刺すのです。
確かに、これは普通の「いなご」ではありません。青草に興味を示さない「いなご」などいません。実際、私の菜園の小松菜は、イナゴとバッタに食い荒らされたのです(怒)
彼らは、青草や木には害を加えません。加えてはならないと命じられているのです。ただ「人間」にだけ害を加えるのです。つまり「目的」は「人を苦しめること」なのです。
しかし「額に神の印」を押された人々には、害を加えることはできません。
黙示録七章で見た「額に神の印のある14万4千人」は「いなご」のわざわいから守られるのです。
昆虫のイナゴの活動時期は、種類にもよりますが、だいたい「五カ月間」です。中には、成虫のまま越冬するものもいますが、おおよそ「7月から12月」が活動時期です。
底知れぬ所から出て来た「いなご」の活動期間も「五カ月間」です。その間、人を刺して害を与え続けるのです。「いなご」に刺された人は、サソリに刺されたような苦痛を味わいます。前述したように、サソリの毒で人間が死に至ることは、ほとんどありません。同じように「いなご」に刺された人も、苦しみますが「死ぬ」ことはないのです。
その期間とは「五か月間」のことです。
その間、人々は「死にたい」と願うのです。「死んだ方がマシだ」と思うような苦しみを味わうということです。しかし、人々は死ねません。なぜかは分かりませんが「死」すら、自分の意志ではどうにもできないのです。
通常の場合、人は「死にたい」とは思いません。しかし、通常でなくなった場合、自分の意志で「いつでも死ねる」と、みな考えているでしょう。
けれど、この五カ月の間「死は彼らから逃げて行く」のです。
何が起こるのでしょう。まったく想像ができません。
それに、この「いなご」は、いったい何なんでしょうね。さっぱり分かりません。
昆虫のイナゴが突然変異したものなのでしょうか。
それとも「いなご」は、象徴であって、何か「別のもの」を表しているのでしょうか。
「いなご」の姿を、使徒ヨハネは詳しく記述しています。ヨハネには、このように見えたのです。
あなたも、この説明が恐ろしく、奇妙で、不自然であることに同意されると確信します。ところがもう少し詳しく調べてみると、パレスチナのいなごとあまりにも良く似ていることが明らかになります。私たちは、そのことに注目する必要があります。ヴィンセント博士は、黙示録に関する著書の中で、次のような意見を述べています。「いなごが馬に似ていること、特に武装した馬に著しく似ているので、この昆虫はドイツ語で「ホイプフェル」つまり「干し草の馬」、イタリア語では「カヴァレッタ」つまり「小さい馬」と名づけられている。
Thru The Bible J・バーノン・マギー神学博士 福田弘之師による日本語版より
「いなご」は、なぜか刺すようになった「尾と針を持つイナゴ」なのだという解釈をされる注解者も多くいます。そうかもしれません。
私の牧師は、もう30年前のことですが「いなごは戦闘機みたいなものかもしれない」と言っていました。
もちろん、そうだとは言い切れません。それでも、一つの可能性として考える価値はあるかもしれませんね。
2017年のことですが、AFP通信がこのような記事を書いています。
【1月10日 AFP】米国防総省が敵対勢力に対して21世紀型の「イナゴ攻撃」を仕掛ける日も近いのかもしれない。同省は9日、103機の超小型ドローン(無人機)を編隊飛行させる世界最大の実験に成功したと明らかにした。
2017/1/10 AFP BB Newsより
イナゴ型のドローンが開発されて、隊列を組んで攻撃しても不思議ではない時代だなと思わされます。
いすれにしても、恐ろしいことが起こるという事実に変わりはありません。
ヨエル書のいなごの預言と読み比べたりしつつ、また、個人的に学びを深めていきたいと思います。
背後に悪霊がいることは確実でしょう
さて、「いなご」が実際に何であったとしても、その背後に悪霊がいることは確実であると思います。
この「いなご」は、人間のような顔をしていると記されていますが、確かに「知性」「意志」があるように思えます。少なくとも「青草や木」に害を及ぼさないことと「額に神の印がある者たち」に危害を加えないという判断能力を有しています。
彼らは「統率」されています。彼らには「司令官」がいるのです。
「いなご」たちには「王」がいるのです。
通常の「イナゴ」には「王」つまり「リーダー」はいません。「女王バチ」のような存在はいないのです。
自然界の「いなご」と黙示録9章の「いなご」の違いは明白ですね。
「底知れぬ所」が開かれたとき、かまどのような煙とともに「捕らわれていた悪霊たち」が解放されたのではないかと思います。
「いなご」が何であれ、その悪霊たちが「いなご」と呼ばれるものをコントロールしているのではないかと、私は思います。
そして、その悪霊たちの「王」は「底知れぬ所の使い」と呼ばれる者なのです。
その名前は「ヘブル語でアバドン、ギリシャ語でアポリュオン」です。
「アバドン」は「破壊」を意味します。「アポリュオン」は「破壊者」の意味です。つまり同じ意味ですね。
そして、この底知れぬ所の穴が開かれると、煙が立ち上り、その煙からいなごが出てくるのですが、底知れぬ所から出てくる大群は悪霊ではないでしょうか。とすれば、一節、二節の「その星には底知れぬ所穴を開く鍵が与えられた」という「星」には、悪霊をコントロールする力が与えられたと言うことになります。
世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション
「天から落ちた一つの星」は、底知れぬ所を開き「捕らわれていた悪霊たち」を解放したのではないかと思います。
そして、そのまま「底知れぬ所の使い」「破壊者」として、「いなごの王」になったのだと考えると、なんとなく「納得できる」気がしますね。
このように、この星は相当、力のある存在で、他の悪霊に支配権を発揮するのですが、ある人はサタンではないかと考えます。しかし、サタンが地に落とされるのは第三のわざわいの時ですから、サタンに仕える者で、他の悪霊を支配している悪霊のドンでしょうか。
世の終わりが来る 奧山 実著 マルコーシュ・パブリケーション
私は、完全に理解したわけでなく、どちらかと言えば「混乱」している最中ですが、それでも「底知れぬ所の使い」は、サタンそのものではないだろうと考えています。
「天から落ちた一つの星」について考え始めると、よく分からなくなってしまうのですが、「底知れぬ所の使い」と「同じ者」を表すとすれば、「一つの星」はサタンでないということになります。
しかし、「天から落ちた一つの星」と「底知れぬ所の使い」が「別の者」を表すとすれば、「一つの星」は、サタンである可能性もありますよね。
さて、このことは長い議論をしても結論のでないことですから、このぐらいでやめておきましょう。
何はともあれ、この「いなご」の背後に悪霊の働きがあることは確実です。
定められた時が来ると「不法の人」すなわち「反キリスト」が現れます。
しかし「不法の人」が現れる前から「不法の秘密」は働いているのです。
確かにまだ、私たちの生きている世界では「底知れぬ所」は開かれてはいません。
しかし、今、この世界においても悪霊たちは確実に働いています。「不法の秘密」は、すでに働いていることを忘れないでください。
私も、あまり「霊の戦い」などと言いたくはないのです(笑)
けれど、どれだけ目を背けたくても、実際に「戦い」は存在します。
「戦い」がないならば、なぜ、私たちに「霊的な武具」が与えられているのでしょう。
「戦い」がないなら、なぜ私たちは「御霊の剣」を手に取らなければならないのでしょう。
「戦い」がないなら、私は、こんなにも落ち込むことはないでしょう。
「戦い」がないなら、もっと簡単に人は救われるはずです。
イエス様が使徒たちを選ばれた理由をマルコは記しています。
主が十二使徒を選ばれたのは、まず「ご自分のそばに置くため」です。これは、いいですね。納得します。
そして「彼らを遣わして宣教させ」るためです。これも素晴らしいですね。
しかし、もう一つあります。
イエス様が十二使徒を選ばれたのは「彼らに悪霊を追い出す権利を持たせるため」なのです。
受け入れたくなくても、これは「事実」です。イエス様は、弟子たちに「悪霊を追い出す権威」を与えられたのです。
そして、これは十二使徒たちだけに持たせられた権威ではありません。
イエス様は、七十二人の弟子たちをも二人ずつ派遣されました。そして、その七十二人は戻って来て言ったのです。
つまり、彼らは派遣された先々で、悪霊を追い出していたと言うことです。
愛する兄弟姉妹。
私たちも同じなのです。私たちも、主の御そばに置かれるために呼び出されました。主は、私たちを愛し、選んでくださいました。あなたは選ばれた弟子です。
ですから、あなたも「収穫」のために働くように召されています。宣教の働きを委ねられているのです。そして、同時に、あなたにも「悪霊を追い出す権威」が与えられています。
私たちは、主イエスの御名によって悪霊を追い出すことができるのです。
不法の秘密は、すでに働いています。
敵は、そのまま「秘密」にしておこうと目論んでいます。自分たちの働きを隠しておいた方が有利だからです。
そして、もし自分たちの存在が明らかになったなら言うのです。
「そんな霊の戦いなんて、特別な賜物がある人の使命だよ。あなたのような普通の信徒には関係のない話さ」
私は、常々言っていますが…
「普通の信徒」なんて、この世には存在しません。
あなたも私も、主の御前に「特別な聖徒」です。
「自分は、普通の信徒だから特別なことはできない」と、もし考えているなら、あなたは完全に敵の策略にはまっているのです。
主に愛された聖徒よ。
あなたは、主に選ばれた「特別な聖徒」であることを覚えてください。
主は、あなたを選んでそばに置き、御心を宣べ伝える聖徒とされたのです。そして、あなたの手に「御霊の剣」を授けてくださいました。
今、立ち上がって「御霊の剣」を振りかざしましょう。
つまり「みことばを宣言する」のです。
御国が来たことを宣言し、神のみこころが成ることを宣言しましょう。
私たちの領土には、悪霊がいることはできないと宣言しましょう。
主の勇士よ。
私も自分が戦いに向いているなんて、これっぽっちも思わないけれど、それでも立ち上がります。
あなたも、どうか一緒に立ち上がってください。
御国よ、来たれ。
御心よ、成れ。
主のシャロームがありますように。

