2025.12.20 岩に建てるシリーズ「終末の学び」を追加

No.493 私は「見て」そして「味わい」ます。必要なのは信仰です。

キラキラの花

Ⅱ列王記7:2
しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、エリシャは言った。「確かに、あなたは自分の目で見るが、それを食べることはできない。」

ひどい飢饉があったときのことです

それは想像を絶する飢饉でした。

Ⅱ列王記6:25
サマリヤには大飢饉が起こっていて、また彼らが包囲していたので、ろばの頭一つが銀八十シェケルで売られ、鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルで売られるようになった。

飢饉のうえに、敵が包囲していたので、外から物資を運んでくることもできませんでした。とにかく、食べる物がなかったのです。

そのあたりの詳しいいきさつは「第二列王記6章と7章」を読んでください。

主は、預言者エリシャを通して、この事態を急変させると言われました。

Ⅱ列王記7:1
エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」

主は「大飢饉」が、一日にしてくつがえされると言われるのです。「明日の今ごろ」には、小麦や大麦を手に入れることができると言われるのです。

しかし、それを聞いた「王の侍従」は言うのです。

Ⅱ列王記7:2a
しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」

王の侍従は、今がどれほど悲惨であるのかをよく知っていました。

誰もかれもが「自分」すら養えない状態なのです。それを「明日の今ごろ」には解決するなんて、そんなこととても信じられなかったのです。

しかし、エリシャは「王の侍従」に言いました。

Ⅱ列王記7:2b
そこで、エリシャは言った。「確かに、あなたは自分の目で見るが、それを食べることはできない。」

主は、人の考えもつかない方法で飢饉を解決されました。確かに「天の窓」は開かれたのです。

アラムの陣営は、自分たちの天幕も馬も置き去りにして、逃げ去って行きました。彼らが残していった食料が門から持ち込まれ、エリシャの預言のとおりになったのです。

Ⅱ列王記7:17
王は例の侍従、頼みにしていた侍従を門の管理に当たらせたが、民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたことばのとおりであった。

「王の侍従」に対するエリシャのことばも、そのとおりになりました。

「王の侍従」は「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか」と言いました。

彼は、その最後に「主の御力」を見ました。実際に、天の窓が開かれたのです。しかし、彼は、もたらされた小麦を味わうことができませんでした。

愛する兄弟姉妹

必要なのは「信仰」です。「信仰」がなければ、主を喜ばせることはできません。

そして、「信仰」がなければ「約束の実体」を持つことはできないのです。

「絵にかいた餅」を見つめていても、お腹は満ちません。「信仰」は、絵に描かれた餅を「本物」にします。

私たちは信じましょう。信じて「約束」の成就を見ましょう。見るだけでなく「約束」を味わう者とされましょう。

必要なのは「信仰」なのです。

主よ、私は信じます
あなたの約束を信じます
あなたには不可能なことはないと信じます