No.484 「栄光よ、目覚めよ」と命じるのです

竪琴よ

詩篇57:8
私のたましいよ 目を覚ませ。琴よ 竪琴よ 目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。

目を覚ませと詩人は歌います

ダビデは「私のたましいよ 目を覚ませ」と命じています。

ここで「たましい」と訳されている語は、直訳すると「栄光」です。

その他には「誉れ」「豊かさ」「威厳」「評判」「敬愛」「光輝」などという意味もあります。

新共同訳では「目覚めよ、わたしの誉れよ」と訳されています。

ダビデは、自分の「回復」を命じているのです。

詩篇57:4
私のたましいは 獅子たちの間で 人の子らを貪り食う者の間で 横たわっています。彼らの歯と槍と矢 彼らの舌は鋭い剣です。

ダビデのたましいは「絶体絶命」の状態でした。

獅子が牙をむいて襲って来るのに、ダビデには立ち上がる気力もないのです。

ダビデを責める人々は、言葉が巧みだったのでしょう。彼らの言葉は、鋭い剣のようでした。それは、容赦なくダビデの心を突き刺しました。

恐らく、中傷や陰口が蔓延していたのです。ダビデは、自分の評判が地に落ちたように感じました。誰もかれもが「敵」に見えました。みなが、自分が失敗することを望んでいるように思えました。

詩篇57:6
彼らは私の足を狙って網を仕掛けました。 私のたましいはうなだれています。

ダビデのたましいは「うなだれて」いました。

辛い思い、悲しい思い、痛む心を抱えて、たましいが「うなだれて」いたのです。

ああ、これが「主に愛されている者の姿」でしょうか。「主に油注がれた者」の姿でしょうか。

心無い言葉に傷ついて、自分の評判は地に落ちたと「うなだれて」いるのは、ダビデの本来の姿ではないのです。

だからこそ、ダビデは「命じる」のです。

詩篇57:8
私のたましいよ 目を覚ませ。琴よ 竪琴よ 目を覚ませ。私は暁を呼び覚まそう。

ダビデは言います。

「私の栄光よ、目を覚ませ」

「私の威厳よ、目覚めよ」

「私の評判よ、回復せよ」

「私の豊かさよ、満ちあふれよ」

あなたは、何に「うなだれて」いるのでしょう?

心無い人の言葉が、あなたを傷つけたのでしょうか。

あなたは、なぜ「うなだれて」いるのでしょう?

なぜ自分は「もう無理だ」と思いこんでいるのでしょうか。

あなたは、本来の姿を取り戻さなければなりません。

「主に愛されている者」としての威厳を回復せねばなりません。

敵が、あなたに何を吹き込んだとしても、それを信じてはなりません。

主が、あなたを「どのように」見ておられるのかを思い出しなさい。

「愛するわが子よ、あなたは、わたしに見捨てられることがない」と言われる方を見上げなさい。

権威を持って宣言しなさい。お願いするのではありません。

あなたの「栄光」に目覚めるように命じなさい。

あなたの「たましい」に回復を命じるのです。

奪われたものは「取り返す」のです。

あなたは「王の子ども」であることを決して忘れてはなりません。

私は、主の似姿に造られました
私は、神の子どもです
私は、主の栄光に輝きます