No.473 私は熟練した見極め師になります

スキルのある犬

詩篇107:43
知恵のある者はだれか。これらのことに心を留めよ。主の数々の恵みを見極めよ。

見極めよと言われます

「主の数々の恵みを見極めよ」と言われます。

「見極めよ」とは、以前の新改訳では「悟れ」と訳されていました。新共同訳では「目を注ぐがよい」と訳されています。「識別せよ」と訳すこともできます。

「数々の恵み」があるのです。そして、その恵みは「日々」注がれているのです。

けれど、私は、なかなか「数々の恵み」を見極めることができないようです。

「知恵のある者」には「恵みを見極めること」ができます。

「知恵のある」とは「洞察力のある」という意味ですが「技量がある」と訳すこともできます。

「技量」というのは「物事を行う腕前」「持っている技術の度合い」のことです。つまり「スキル」のことです。

面白いですね。「恵みを見極める」には「技量」「スキル」が必要なのです。私たちは「熟練」を目指す必要があるのです。

詩人は「知恵のある者」は「これらのことに心を留めよ」と言っています。

「これらのこと」とは何でしょう。その前の節を読んでみると分かります。

詩篇107:40~41
主は 君主たちを低くし 道なき荒れ地をさまよわせる。しかし、貧しい者を困窮から高く上げ その一族を羊の群れのように そこに置かれる。

「これらのこと」とは「高くするのも低くするのも、主の御手にある」ということです。

「今」見えるところはすべてではありません。「人の歩みは主によって確かにされる」ということです。

このことに「目を留める」ならば、私たちは「熟練した見極め師」になることができます。

ハンナは「熟練した見極め師」でした。ハンナの祈りには「知恵」が満ちています。

Ⅰサムエル2:6~8
主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。主は、弱い者をちりから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。

苦しみ、悲しみを「主に注ぎだし」ハンナはこのことを悟りました。主にすべてを「注ぎだす」ことによって、私たちは「熟練」していくのです。

Ⅰサムエル2:3
おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことを口にしてはなりません。まことに主はすべてを知る神。そのみわざは測り知れません。

私たちに「すべて」はわかりません。「今」が「この先」どのように変わるのかを知ることはできません。ですから「黙って」いましょう。

「このこと」に目を留め続けましょう。主が「高く」され、また主が「低く」されるのです。

私たちは、ただ「主の力強い御手の下にへりくだって」いましょう。

そうすれば「熟練した見極め師」になれます。

「主の御手の下」からすべてを見るならば「数々の恵み」を見極めることができるようになります。

あなたは「予期せぬ所」で「思っても見なかった時」に、恵みを発見できるようになります。

あなたが日々「数々の恵み」を見出すことができますように。

主よ、恵みを見極めさせてください
主の御手の下にへりくだります
主の恵みを感謝します