ヨハネ2:18
鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」
イエス様は宮きよめをされました
過越しの祭りが近づいたので、イエス様もエルサレムに上られました。
宮の中に入られたイエス様は、商売人、両替人たちを見ました。宮の中で売り買いがなされていて、その商売は繁盛しているようでした。
人々は、祭りのためにエルサレムに上って来ます。遠くから旅をして来る人々も多かったのです。そのような人々は、犠牲の動物を抱えて旅をしてくるわけにはいきません。ですから、みな現地で調達していたのです。
また、宮では「聖所のシュケル」しか使用できませんでした。つまり「宮」だけでしか使えない通貨があったのです。人々は、一般に使用できる通貨を「聖所のシュケル」に両替する必要がありました。
「犠牲の動物」を売る人も、両替人も、ある意味において「必要」でした。それで「助かった人たち」もいたからです。
しかし、イエス様は「宮」の様子を見て憤りを覚えられました。
まず、細縄でむちを作られました。それで「動物」を追い出されました。それから、両替人の「金」を散らし、台をひっくり返されました。
彼らの多くは「不正な利益」を得ていたようです。傷物の動物を売ったり、両替金を誤魔化したりしていたようです。
しかし、イエス様は「不正な商売」に対して怒られたのではないと私は思います。
イエス様は「不正なことをするな」と言われたのではなく「父の家を商売の家にするな」と言われたのです。
もちろん「商売」そのものに反対しておられるのではありません。
それが「父の家」でなされていることに怒っておられるのです。
「正しい商売」であっても「不正な商売」であっても、それは「父の家」でなされるべきではないのです。
「商売」とは「利益」のために行うものです。「儲け」を考えずに商売をする人はいません。
しかし「父の家」つまり「神殿」では「自分の利益」を求めてはならないのです。
「それをここから持って行け」とは、原文では「それらを」と複数形になっています。
私たちは「神の神殿」であることを覚えていなければなりません。
私は「利益」「損得」「儲け」のために生きてはいないでしょうか。
私は「何か」持っていかなければならないものがあるでしょうか。
それが「正しいこと」であったとしても…
それが「必要なこと」であったとしても…
神の栄光のためにではなく、自分の利益のために行っているならば、私は「それらを」心から追い出す必要があります。
主よ、私の心をきよめてください
ただ御名の栄光だけを望みます
あなたの熱心な思いを感謝します

