No.455 些細なことの中にも「主を知る」こと。その②

カメラと少年

箴言3:4~5
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの道をまっすぐにされる。

些細なことが、私を主から遠ざけるのです

「行く道のすべて」とは、「どんな小さな道」をも含みます。

私たちは「些細なこと」においても「主を知る」ことが本当に必要なのです。

私たちは「吠えたける獅子」には警戒しますが、顔の周りを飛び回るコバエは「振り払う」でしょう。

私たちは「吠えたける獅子」を恐れますが、コバエには「イライラ」させられます。

実際、私を悩ませるのは「大きな問題」よりも「日常の些細なこと」です。

日常的に起こる「些細な出来事」は、かなりの確率で「私の穏やかさ」「私の平安」を奪うのです。

「すべての道において、主を知る」ことは「些細なことの中にも、主を見出す」と言うことです。

「コバエ」のような「些細な問題」であっても、自分の手で「振り払って」はなりません。

それは、一瞬「追い払える」でしょうが、またいずれ「戻って来て」顔の周りを飛びまるでしょう。

私たちの「悟り」では「永続的な解決」をもたらすことはできないのです。

エミー・カーマイケルは「小さな事柄」について、このように祈っています。

わが父よ、あまりにも恥ずかしくて、これまで認めたくなかったのかもしれません。けれども、わたしが失敗するのは、ごくつまらないように見える、小さな事柄のためだというのは、事実です。

わたしの忍耐を奪うのは、わたしが忙しいときに、ふと気を散らせるような小さなできごとです。わたしの怒りを引き起こすのは、わたしを軽んじ、辱める言葉です。あなたが一切を備えてくださる方であるのにそれを疑いたくなるのは、ちょっと痛い出費をしなければならないときです。

このような敵を、わたしは「障壁」の中に入れてしまいました。
そして、わたしの平安を襲撃するままにさせておきました。

けれども、今日、父よ、ふたたび御翼の陰に、身を寄せます。
御翼の陰に隠されて エミー・カーマイケル著 デイヴィッド・ハザード編 柳瀬多喜雄訳 いのちのことば社

なんと率直で心に響く祈りだろうかと思います。

私も認めたいと思います。そうして、どんな些細なことの中にも主をお招きしたいと切に願います。

私たちも祈りましょう。

「些細なこと」の中にも「主を知る」ことができますように。

私たちは、心を尽くして主に拠り頼みましょう。

私たちは、行く道のすべてにおいて「主を知る」ことを求めましょう。

主は、今日も、あなたの「些細なこと」の中にご自身を現わしてくださいます。

私は、小さなことも御前に持って出ます
すべての道において「主を知る」ことを切に求めます
主の超自然的な平安をお与えください