No.451 光の中を歩み、光を放って歩みます

光の中を飛ぶ

マタイ4:16
闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰に住んでいた者たちの上に光が昇る。

闇が照らされるなら…

暗闇の中に「光」があふれたならばどのようなことになるでしょう。

J・バーノン・マギー神学博士がとても面白い話をしておられます。マギー博士が、狩りに訪れた先で大雨に降られたときの話です。

丘にはかなりの数の洞窟があって、雨が本降りになったとき、私はずぶぬれになるだろうことが分かっていましたからその洞窟のひとつにもぐりこみました。私は一番大きな洞窟に入り、暗い洞窟の中におよそ30分ほど座っていました。寒くなってきたので、焚き火が必要だと思いました。そこで私は、洞窟の床にちらばっていた落ち葉を集め、マッチで火をつけました。すぐに小さな焚き火が起こりました。洞窟の中を見回したとき、私は自分がひとりではないことに気づきました。あの洞窟の中ほどに多くのクモやトカゲのいる場所には、行ったことがありません! 向こうの片隅には、小さな蛇がとぐろを巻いて、ただ私を見つめていました。~中略~
私は裏庭に向かって下りて行き、本当にずぶぬれになりましたが、でもあの洞窟には長居をするつもりはありませんでした!
さて、適用をして見ましょう。暗やみにいた間は、私は快適におよそ30分そこに座っていました。でも、焚き火のあかりがその洞窟に何がいるかを明らかにしたとき、私はもはやそこに心地よく座っていることはできなくなったのです。
いのち の みことば(1ヨハネ1:6より) J. バーノン・マギー博士 福田弘之 牧師 日本語解説

光に照らされると、今まで見えなかったものが見えるようになります。

光に照らされると、今まで安心安全だと思っていた場所に恐ろしいものが存在することが分かるようになります。

光に照らされると、今まで居心地の良かった空間が、逃げ出したくなるほど嫌になるのです。

Ⅰヨハネ2:15
あなたがたは世をも世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているのなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

使徒ヨハネが「世をも世にあるものも愛してはならない」と言うとき、彼は「光の中」から「世」を見ていたのです。

私たちは「光の中」を歩む者です。私たちの上には「光が輝いて」いるからです。

人々が「安心だ、安全だ」と言う、その場所は「闇の中」「死の陰」です。

「光の中」から「この世」を見るならば、そこに「愛すべきもの」を見出すことはできないでしょう。

私たちは「世も世にあるもの」も愛しません。

私たちは、ただ「神を愛し」「兄弟姉妹を愛し」ます。

そして、神が愛される「たましい」のために「光」を放ちながら歩むのです。

私たちは「光の中」を歩み「世の光」として歩みましょう。

そうすれば「闇の中に座っている人々」に光が昇ります。

あなたが暗闇を照らす「光」を運ぶのです。

主は光であって暗いところがありません
私は光の中を歩む者です
私は世の光です