No.446 惑わされると「十字架」が分からなくなります

見えない眼鏡

ガラテヤ3:1
ああ、愚かなガラテヤ人、十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わしたのですか。

パウロは嘆いています

パウロの嘆きと怒りが伝わってくるようです。

「ああ、愚かなガラテヤ人」

ガラテヤの教会は「愚か」になってしまいました。

彼らは「恵みによって信仰のゆえに」与えられた救いを「行い」によって継続させようとしていたのです。

パウロは、そのことを本当に「愚か」だと叱責しているのです。

彼らは「惑わされて」しまったのです。

「惑わす」と訳されている語は「目による魔法をかける」とも訳せます。「目」をじっと見つめて「暗示にかける」という魔術のようなものがあったのです。

デレク・プリンス師は「惑わし」とは「目を打つ」と言う意味だと言っています。

「惑わされる」と「十字架」を見ることができなくなるのです。

ガラテヤ教会の人々は「目を打たれて」真理を判別することができなくなっていました。

「十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出された」とは、以前の新改訳では「あなたがたの目の前にあんなにはっきりと示されたのに」と訳されています。

救いを受けたとき彼らはイエス様を見たのです。心の目で見たのです。

それは「はっきりと」見えました。

彼らの心の目には、生々しく「十字架の主イエス」が映し出されたのです。

彼らは「十字架の悩みは、わが罪のためであった」と心から告白して救いを得たのです。

しかし、今、彼らの目に「イエス様」は見えません。あんなにも「はっきり」と描き出されたお姿を彼らは見失ってしまったのです。

愛する兄弟姉妹。

「惑わされて」はなりません。「キリストの十字架」以外の方法を提示してくるなら、それは「惑わし」です。

あなたの目が「キリスト」を映し出せなくなっているのなら、あなたは「惑わされて」いるのです。

あなたの「目」は何に打たれて、主を見失ってしまったのでしょう。

あなたを、じっと見つめる「この世」と目を合わせてはなりません。私たちは「見つめるもの」に支配されるからです。

「救い」に信仰以外の条件をつけるすべてものを退けなさい。

あなたの「目」を決してイエス様から離してはなりません。

あなたの「目」を誰にも何にも「打たせて」はなりません。私たちは「魔法にかけられて」はならないのです。

救われたあの日のように「イエス様の姿」をはっきりと見ることができますか。

十字架を仰ぎ「あそこに私の罪がつけられたのだ」と確信した日のことを忘れてはなりません。

私たちは「恵みのゆえに信仰によって」救われたのです。それ以外に「義と認められる」方法はありません。

ガラテヤ6:14a
しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。

イエス様の流された血潮を感謝します
私は恵みのゆえに信仰によって救われました
私は、今日も、信仰によって歩みます