黙示録5:12
彼らは大声で言った。「屠られた子羊は力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
イエス様にすべてがあるのです
屠られた子羊であるイエスさまにだけ「これらの七つ」は「ふさわしい」のです。
私たちは「力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美」をイエス様にのみ帰しましょう。
主は言われます。
「のろわれよ」とは、なかなか厳しいことばですね。
しかし、私たちは「肉なる者を自分の腕」としてはならないのです。
なぜなら「力」は、主イエスにのみ「ふさわしい」からです。
「ふさわしい」とは「似合っている」「似つかわしい」という意味です。
「力」とは「能力」「成しとげる力」と訳してもよいかもしれません。
すべて「物事を成し遂げる力」は、主にのみ「ふさわしい」のです。
「富」も主にのみ「ふさわしい」ものです。主は「千の丘」「万の家畜」を持つ「豊かな」方です。
「知恵」は「キリストのうちに隠されて」います。
「勢い」とは「強さ」と言う意味です。「活力」と解釈しても間違いではないと思います。「主を待ち望む者は新しく力を得る」のです。
「誉れと栄光と賛美」については、説明するまでもなく、すべて主のものです。
私たちは、何かを求めて探し回ることはやめましょう。イエス様以外の所では「本物」は見つかりません。
「力がない」と嘆くのもやめましょう。私たちのうちには「キリスト」が生きておられるのです。
私たちは、自分のことも「あの人」のことも、どんなに「強く賢く見える人」のことも、決して「信頼してはならない」のです。「人間」を「自分の腕」としてはなりません。
「力」も「富」も「知恵」も「勢い」も、人には「似つかわしくない」のです。それは、常に「主から」のみ来るのです。
もし、あなたが「主にだけふさわしい七つ」のうち、どれか一つでも握っているのなら、今すぐ手放すことです。それは、私たちには「似合わない」ものだからです。
「できない」のなら「力」を主に求めなさい。聖霊が成し遂げてくださいます。
「乏しい」のなら「富」を主に求めなさい。御父は必要のすべてをご存知です。
「分からない」のなら「知恵」を主に求めなさい。主はとがめることなく惜しむことなく与えてくださいます。
「疲れた」のなら「勢い」を主に求めなさい。主はあなたに鷲の翼を下さるでしょう。
「誉れ」を主に…
「栄光」を主に…
「賛美」を主に…
私たちは、主に「あなたこそふさわしい方です」と言いましょう。
私たちは「万の幾万倍、千の幾千倍」の御使いたちが大声で言っていることに同意しましょう。
「屠られた子羊」こそすべてを受けるにふさわしい方です。
主よ、あなたは私の「すべて」です
主こそ「ふさわしい方」です
私は、あたたを礼拝します