エペソ5:16~17
機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
それは「時間」を無駄にするなという意味ではありません
「機会を十分に活かす」とは「時間を無駄遣いしない」という意味ではありません。
「機会」は「時」と訳すこともできますが、あえて「機会」と訳されているのです。「時間」のことではないということを示したかったのだと思います。
ここで「機会」と訳されている語は「ちょうどよい時」「定められた時」という意味です。
私たちは「神のちょうど良い時」を「十分に活かすように」と言われているのです。
ある先生は、この箇所を「時を贖いなさい」と訳しておられました。「時を贖う」とは面白い言い方ですね。
原語では「身代金を払って解放する」という意味の語が使われています。
他に「機会を十分に活かす」とは「時を買い戻す」「時を買い占める」と訳すこともできます。
「悪い時代」とは、言い換えるならば「悪い日々」です。
私たちは、ぼんやりしているならば「悪い日々」を過ごすことになります。「悪い時代」に流されて「神のみこころ」を見失ってしまうでしょう。
「時間を大切に」と思うあまり、やるべきことを詰め込み過ぎて「日々」に流されてはいないでしょうか。私は、時々、そのように流されてしまいます。
「時は金なり」などと言いますが、それは「世の中の価値基準」です。
「やるべきこと」を効率よくこなし、時間を無駄にせず一日を過ごせたなら「充実した一日だった」と満足するでしょう。
しかし、自分の計画通りに事が運んだとしても「神のちょうど良い時」を見逃してしまったならば、その「充実感」は、ただの「自己満足」に過ぎないのです。
私たちが大切にしなければならないのは「過ぎ去っていく時」ではなく「神のちょうど良い時」です。
私たちは「神のちょうど良い時」を買い占めなければなりません。私たちは「代価を払ってでも」神のちょうど良い時を手に入れる必要があります。
大切なのは「私の計画」ではなく「神のちょうど良い時」です。
達成すべきは「私のビジョン」ではなく「神のみこころ」です。
「悪い時代」に流されずに生きるためには「神の時」を知り「何をなすべきか」を悟る心が必要です。
「悟る心」「見る目」「聞く耳」は、主が与えてくださるものです。
今、私の計画は、一旦置いて静まります。
主が「みこころ」を悟らせてくださいますように。
「神のちょうど良い時」をしっかりと掴むことができますように。
主のみこころを悟らせてください
神のちょうど良い時を活かすことができますように
私は、主のみこころを選びます