マタイ6:33(新改訳第二版)
だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
天国のことばを第一に
さて、インドに遣わされた「ジョン・ハイド」の話をしましょう。
彼は、私が最も敬愛する宣教師です。ですから、たびたびメッセージに登場します(笑)
ハイド師がインドに到着したときの話です。
インドに到着すると、彼は当然のごとく、ことばの勉強にとりかからなければなりませんでした。学び始めたものの、やがて、聖書の学びのためにこれを怠るようになりました。委員に叱責されたとき、彼は「第一のものを第一に」と答えました。自分はインドに聖書を教えるために遣わされたのであって、教えるためにはまず自らが教えられる必要がある、というのが彼の持論でした。神は御霊により、彼に驚くほど聖書を開かれました。同時に彼は、ことばの学習も続けるようになりました。
「彼はウルドゥー語、パンジャブ語、そして英語を、正確に、すらすらと話すようになりました。しかしそれ以上に、天国のことばを習得しました。そのため、彼が神のみことばの真理を討ち開くとき、何百人ものインド人が魅せられたように聞き入るのでした。」
祈りのハイド フランシス・A・マッゴー著 いのちのことば社
宣教師が現地のことばを習得するのは当然のことです。
それは「やるべきこと」です。
しかし「やるべきこと」は必ずしも「第一のもの」でないことを覚えておかなければなりません。
私は、自分が「やるべきこと」に追い迫られているように感じる時、必ず、このハイドの話を思い出します。
ともすると、私は「忙しい」ことを理由に「第一のもの」をおろそかにしてしまうのです。
日々の生活の中で「やるべきこと」は確かに「山積み」でしょう。
私は、なぜか分かりませんが、時々「時間に追い立てられて」しまいます。
しかし、いくら一生懸命に「やるべきこと」をこなしながら「時間と格闘」しても、思ったほどの成果を得られないということが、たびたび起こります。
そのような時、私は自分に言うのです。
「第一のものを第一に」
私が求めるべき「第一のもの」は「神の国と神の義」です。
「天国のことば」を聞くことは「第一のこと」です。
主なる神様の御前に出ることは「第一のこと」です。
自分自身の「聖書の学び」をすることは「第一のこと」です。
ある人は「今日、私はとても忙しいので、三時間は祈らなければならない」と言いました。
つまり「忙しいときこそ祈れ」ということです。
「第一のものを第一に」するならば「それに加えて、これらのものはすべて与えられる」のです。
「第一のものを第一に」するならば、「時間と格闘」する必要はなくなります。「時」は主の御手の中にあるからです。
「第一のものを第一に」そうすれば、その他の「優先順位」も定まるでしょう。
主よ、私は「天国のことば」を第一にします
主よ、あなたの御前に出ることを第一とします
あなたとともに歩むことを第一とします