ローマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうずれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
心を新たにするとは…
私たちは「聖なる生きた献げもの」として、神の御前に自分自身をささげます。
私たちは「生きた献げもの」として、日々、歩みます。
「生きた献げもの」として生きるとは、自分の思いのままではなく「主のみこころ」に従って生きると言うことです。
私たちは「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分け」なければなりません。
神のみこころを知るために必要なことは「この世と調子を合わせない」ことです。
これは「この世の型にはまってはいけません」とも訳せます。
私たちは、神への「聖なる献げもの」です。すなわち、この世から「取り分けられたもの」です。
それなのにどうして、再び「この世の型」にはまろうとするのでしょう。
なぜ「神の声」ではなく「世の声」に従おうとするのでしょう。
私たちはこの世が「常識」と呼ぶ考え方に染まっていてはなりません。
私たちは、御国の「常識」すなわち「この世の超常識」を知る必要があります。
そのために、私たちの心は「新たに」されなければなりません。
ここで「新たにする」とは「姿を変えられる」「変容させられる」とも訳すことができます。
以前の新改訳では「心の一新」と訳されていましたね。
これは、虫が姿を変えて成長する様子(変態)を表す言葉でもあります。
「青虫」は「さなぎ」に姿を変えます。そして「さなぎ」は「蝶」に姿を変えて羽ばたきます。
「青虫」が「蝶」に変わるなんて、知らなければ「同じ虫」だとはとても思えないでしょう。
私たちの「心」も同じです。
「聖なる生きた献げもの」として歩み続けるならば、私たちの心も「新たに」されます。
私たちは「姿を変えられる」のです。
今は、栄光の欠片も見えないと落ち込むことがあったとしても、確実に「栄光から栄光へ」と変えられます。
ですから「この世と調子を合わせて」はなりません。
世の中が「こうでなければならない」と言う声に従ってはなりません。
敵が「あなたは決して変わらない。いつも同じ間違いをするじゃないか」とささやく声を信じてはなりません。
あなたは「新たに」されます。御霊によって日々「変えられて」います。
青虫は、すぐに蝶にはなりません。青虫は、さなぎの期間を経て「蝶」になります。
主が「新たに」される方であることを信じなさい。
今日、主の御声が「少し」聞き分けられたのなら、明日はまた「もう少し」聞き分けられるようになります。
あなたが「新たに」され続けているなら「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるよう」に必ずされます。
「聖なる献げもの」なのだという認識をもって歩み続けましょう。
この世と調子を合わせず、御国の民として歩みましょう。
私は「聖なる生きた献げもの」です
私は、この世と調子を合わせません
聖霊による刷新を願い求めます