民数記6:24
主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
祝福とは何でしょう
私たちは「祝福してください」と祈ります。
また「主の祝福がありますように」と兄姉に言います。
しかし「祝福」とは何でしょうか。
「祝福」と訳されているヘブライ語は、「ベイト・レーシュ・カフ」という語根から派生した「ベラカー」(ベイト・レーシュ・カフ・ヘー)という言葉で、ひざまずく、祝福する、賛美する、敬意を表するという意味があります。この語根とそこから派生した言葉は聖書に415回出てきます。ヘブライ語で「祝福する」とは、成功、繁栄、多産、長寿のための力を賦与するという意味です。
B.F.P.Japan ティーチングレター 祝福(前編より)
「祝福」という語に「ひざまずく」という意味が含まれているのは驚きですね。
主は「かがんでいる者」を起こしてくださいます。
その時、私たちを起こすために、主ご自身も「かがまれる」のです。
それが「祝福」です。(それは祝福の一つの側面です)
主は、転んでしまった私を抱き起し、ひざをついて、汚れを落としてくださいます。
そして「さあ、立ちなさい」と手を取ってくださいます。
イエス様は、腰に手ぬぐいをまとわれ、ひざをかがめて弟子たちの足を洗われました。あの時、主イエスは弟子たちを「祝福」しておられたのです。それは「極みまでの愛」の現れです。
主の謙遜こそ、大いなる「祝福」です。
主の謙遜が私を「大きくする」のです。
主は、あなたのために「ひざをかがめる」ことを厭われません。
あなたが「祝福」を求めるならば、主はそばに来て「かがんで」くださいます。
あなたが「かがんでいる」なら起こしてくださいます。
小さな子をあやすようにして、ひざをかがめ顔を覗き込んでくださるでしょう。
私たちは「祝福」を切に求めましょう。
私の上に「祝福」を注いでください。今日、力強く歩けるように。
そして、あの人の上に「祝福」を注いでください。主の臨在を強く感じることができますように。
主の御手が届かないほど遠い場所などありません。
倒れている人に「祝福」を。
かがんでいる人に「祝福」を。
今日、立ち上がって歩き出すことに困難を覚えているあなたに「祝福」を。
主が、身をかがめて、あなたを抱き起してくださいますように。
主の「祝福」を求めるために、私もまた、ひざまずき、ひれ伏します。
主よ、感謝します
あなたの謙遜を、あなたの愛を感謝します
主よ、どうか祝福してください