マタイ6:6
あなたが祈るときには、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところにおられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
御父は、報いてくださる方です
「隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」とイエス様は言われます。
それは「主なる神と二人だけになりなさい」ということです。
御父は「隠れたところ」におられます。私たちは「隠れたところ」で御父と会うのです。
神は肉の目からご自身を隠される神です。私たちが神を礼拝する時に、自分の考えや儀式などに支配されているうちは、いつまでたっても目に見えない、霊であるお方にお会いすることはできません。しかし、この世と人間に属するすべてのことから自分を遠ざけ、ひたすらに神だけを待ち望もうとする者には、御父はご自身を明らかにしてくださるのです。
キリストとともに 祈りの学校 アンドリュー・マーレー著 いのちのことば社
御父は、隠れたところで私を待っておられます。
誰にも何にも邪魔されないところで、ご自身を啓示したいと望んでおられるのです。
イエス様は言われます。
「隠れたところにおられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」と。
御父は「報いてくださる方」なのです。
祈りをただの「義務」と考えてはなりません。
願いごとをかなえてもらうために「祈らなければならない」という考え方を捨て去りましょう。
自分が「いかに小さい者」で「何も持っていない者」であるかを訴えるのはやめなさい。
そうではなく「主がどれほど偉大で、いかに素晴らしいものを与えて下さる方」であるかを思いなさい。
御父は「報いてくださる方」なのです。
「報い」を得るために必要なことは一つだけです。
「戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」
そうすれば…
「隠れたところにおられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」
私たちは「隠れたところで」「神と二人になって」祈りましょう。そうすれば「報いてくださる」のです。
私たちは、もっと御父の愛を信じましょう。御父は「与えようと待っておられる方」なのです。
「隠れたところ」に行くならば、必ずご自身を現わしてくださいます。
御父は、あなたを待っておられます。ご自身を啓示するために待っておられます。また、あなたに報いを与えようと待っておられます。
私たちは、近づきましょう。隠れたところに走って行って、御父とお会いしましょう。
さあ、戸を閉じてひざまずきましょう。
御父は、必ずあなたに報いてくださいます。
私は、隠れたところで呼び求めます
御父よ、あなたが報いてくださることを信じます
主よ、どうかご臨在を現わしてください