No.407 大胆な信仰が欲しいなら告白することです

歩く子ども

マルコ5:27~28
彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。

彼女は「言っていた」のです

十二年間、彼女は病に苦しんでいました。

マルコ5:26
彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。

十二年の間、彼女は様々なことを試みました。多くの医者にかかりました。医者たちは、彼女から治療費を取れるだけ取りました。

彼女の財産は、みるみるうちに減っていきました。しかし、彼女はどうしても治りたかったのです。ですから、何もかもを使いつくしてしまいました。それなのに、「何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた」のです。

これ以上ないほど絶望的な状況です。

彼女も、諦めようと考えたことがあったかもしれません。心が折れかけて、もう何もかもが嫌だと思うこともあったでしょう。

自分の存在が「人や物」を汚すことになるなんて、どのようにして自分の心を保てばよいのでしょう。

しかし、そのような彼女に「良い知らせ」が届きます。イエス様のことを聞いたのです。

マルコ5:28
「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。

「思っていたからである」とは、直訳すると「言っていた」です。

彼女は、イエス様のことを聞いて「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と言っていたのです。

マタイの福音書には「心のうちで考えていたからである」と記されています。

彼女は、繰り返し繰り返し、イエス様のことを考えたのです。そして、言い続けたのです。

「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」

この告白は、彼女に「信仰」をもたらしました。彼女に「大胆さ」をもたらしました。告白によって、彼女のうちに勇気がみなぎりました。

そして、とうとう踏み出したのです。

これは、簡単な一歩ではありません。普通の状態の人が、イエス様に気軽に触れることとは全く異なります。

彼女は、自分が触れるものは「汚れる」ということを知っていました。それは、律法に背く行為でもありました。もし、自分が触ったことが明らかになれば、イエス様に激怒されるかもしれません。

それでも、彼女は「着物の房」を掴んだのです。

イエス様は、もちろん怒ったりされませんでした。むしろ、彼女の行いを「信仰である」と認めてくださいました。

マルコ5:34
イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」

イエス様のことを考えて、イエス様について「告白」し続けることは、私たちの信仰を増します。

「告白」し続けることは、私たちに確信をもたらします。それは「常識」「慣習」「戒め」を越えさせる力となります。

私たちは何を恐れて踏み出せないのでしょう。何が私たちを縛り付けているのでしょう。

大胆な信仰に歩みたいなら「告白」し続けることです。絶望を打ち破りたいなら「告白」し続けることです。

心のうちで、常に「主イエスのことを考え、みことばを口ずさみ」ましょう。

そうすれば、大胆に確信をもって歩み出すことができます。

私は、主の御業を告白します
主にあって不可能なことはないと告白します
私は、大胆に御前に出ます