No.402 すべては「恵みのゆえに」です。恵みは十分に注がれています

恵みの光

Ⅱコリント12:9
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われました。ですから、私はキリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで弱さを誇りましょう。

力強い神の御手の下に

パウロは「弱さを誇りましょう」と言いました。

本来であれば「弱さ」は誇るようなものではありません。

しかし「神の恵みは十分なのだ」と知った瞬間、それは「誇るべきもの」となるのです。

ある姉妹は、パウロのように「弱さを誇れるようになりたい」と願いました。

ゆえに彼女は「パウロに与えられたとげを私にも下さい」と祈ったそうです。

しかし、それは大きな間違いでした。

パウロに与えられた「とげ」とは、何だったでしょう。

Ⅱコリント12:7
その啓示の素晴らしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。

パウロの「とげ」が具体的に、彼にどのような苦痛を与えていたのかはわかりません。

それは「ひどい頭痛であった」とか「目が悪かったことだ」などと言われています。

いずれにせよ、それをもたらしていたのは「サタンの使い」でした。

この姉妹は知らずに「サタンの使い」を求めてしまったのです。

その後、彼女は病気になりましたが、幸いにも、賢明な牧師によって解放されることができました。

私たちは、間違ってはなりません。

弱さを誇ることができるために必要なのは「肉体のとげ」ではありません。

必要なのは「神の恵み」です。

パウロが「弱さを誇りとする」ことができたのは「神の恵みは十分だ」ということを知ったからです。

主が「わたしの恵みはあなたに十分だ」と言われたからです。

「神の恵み」を十分に受け取る時にだけ「弱さを誇る」ことができるのです。

覚えてください。

本当に「へりくだる」ために必要なのは「弱さ」ではないのです。

パウロも最初から「弱さ」を誇っていたわけではありません。

「苦痛」「困難」「迫害」「侮辱」など、わざわざ味わいたいなどと思わないでしょう。

それらを経験しなければ「へりくだることができない」というのは偽りです。

確かに私たちは「弱さ」を持っています。「苦痛」を経験します。「困難」にあいます。しかし、それらを通して「へりくだり」を身に着けるのではありません。

すべては「恵みのゆえに」なのです。

「弱さ」を誇りたいなら、神の恵みを受け取ることです。

「へりくだり」を身に着けたいなら、神の恵みのうちに生きることです。

主は言われます。

「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と。

今日も、あなたの上には「十分な恵み」が注がれています。

必要なのは「受け取ること」です。

「恵み」は、あなたをおおうのに十分です。

「恵み」は、あなたの弱さに「神の完全な力」を現します。

神の恵みを受け取りましょう。両手を広げ、主の恵みの注ぎを受けましょう。

そうすれば、私たちの「弱さ」は誇りとなります。

主よ、あなたの恵みは私に十分です
今、恵みをすべて受け取ります
あなたの完全な力を現わしてください