No.400 失敗すらも勝利に変えることができる方をたたえます

爽快なツーリング

ヨシュア8:6
彼らは私たちを追って来るので、私たちは彼らを町からおびき出すことになる。彼らは「この前と同じように、われわれの前を逃げて行く」と言うだろうから、私たちは彼らの前で逃げることにする。

「この前と同じように」と言うだろうから

イスラエルの作戦は「伏兵を置いて挟み打ちにする」ことでした。

イスラエルは、アイに敗北しています。つい先日、敵を侮り、主に伺うこともせず、先走ってアイに攻め入り、返り討ちに会い逃げだしたばかりなのです。

その敗北の背後には「アカンの罪」がありました。一人の罪が共同体に敗北を招いたのです。

主は、イスラエルの罪を取り扱われ、そして、再び「アイに攻め上れ」と命じられました。

一度、敗北した敵に立ち向かうのは、とても勇気が必要です。ヨシュアも、自分を奮い立たせる必要があったことでしょう。

主は言われます。

ヨシュア8:1
主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民すべてを率い、立ってアイに攻め上れ。見よ、わたしはアイの王と、その民、その地をあなたの手に与えた。

主が「みこころ」を変えられることはありません。

確かにイスラエルは、一度失敗しました。しかし、カナンの地を占領することは「主の約束」なのです。

主は、必ず、ご自身の約束を成し遂げられます。

ヨシュアたちは、皆で攻め上りました。今度は、作戦を持って攻め上りました。

アイの王は「この前と同じように、われわれの前を逃げて行くだろう」と思いました。彼らは「伏兵」の存在を知らなかったからです。

ヨシュア8:18~19
主はヨシュアに仰せられた。「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたに渡すから。」ヨシュアは手にある投げ槍を町の方に伸ばした。
すると、伏兵はすぐその場から立ち上がった。ヨシュアが手を伸ばすやいなや彼らは町に走り、町に入ってそれを攻め取り、ただちに町に火を放った。

万軍の主の指揮により、伏兵作戦は見事に決まりました。

イスラエルは、一度敗北したアイに勝利することができたのです。

失敗は「終わり」ではないことを忘れないでください。

私たちの「失敗」が、主の「計画」の邪魔をすることなどできないのです。

アイの王は「この前と同じように」と言いました。

サタンも、私たちに同じようにささやくでしょう。

「無理だ。この前と同じようになるに決まっている」と。

いいえ。決まっていることなどありません。

「伏兵を設けて挟み打ちにする作戦」は、一度「敗北」したからこそ「有効」だったのです。

アイの王が「前と同じようになる」と思い込んだからこそ上手くいったのです。

「もう一度、行きなさい」と主は言われます。

「恐れてはならない。おののいてはならない」と言われます。

私たちの神は「全能の神」です。

そして「すべてのことを働かせて益とされる方」です。

振り返った時、私たちは驚き仰ぎ見るでしょう。

主の御手の中にあって「失敗したことが、かえって良かった」と言うように変えられるからです。

失敗なんて無いほうがいいのです。罪なんて犯さない方がいいのです。

しかし、たとえ「失敗」してしまったとしても「過ち」を犯してしまったとしても、それは決して「終わり」の合図ではありません。

主イエスの血潮によってきよめられるなら、それは「始まり」の合図に変えられます。

恐れないで、おののかないで、奮い立って進みましょう。

すべてのことを働かせることができる方を信じます
失敗をも勝利に変えられる方をほめたたえます
私は恐れず進みます