Ⅱコリント4:13
「私は、信じています。それゆえに語ります。」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも信じているゆえに語ります。
「主を語る」ことを学びたいのです
「私は、信じています。それゆえに語ります」とは、詩篇からの引用です。
この詩人は、大いに苦しんでいました。
そして、その苦しみの中で主を呼び求めるのです。
詩人は「主の御名」を呼び求めました。そして、主に目を上げ「語り」ます。
詩人は、主が「どのような方であるか」を語っています。
彼は「自分の信じている方」が「どのような方であるのか」を知っているのです。
詩人は、自分の「苦しみを羅列する」ことをやめて、自分の「信じている方がどのような方であるのか」を語りました。
「信じていること」を語ることが、彼の「信仰」を目覚めさせます。
詩人は、苦しみの中で「全きいこい」を見出しました。そして「主が良くしてくださった」との告白に導かれて行きます。
パウロは言います。
「それと同じ信仰の霊を持っている私たちも信じているゆえに語ります」と。
私たちは、この詩人と「同じ信仰の霊」を持っています。
ですから私たちも、大いに苦しむときに「全きいこい」を見出すことができるのです。
主に「祈る」ことはとても素晴らしいことです。
私たちは「すべてをイエス様に話すように」と教えられてきました。祈りについて多くのことを学んで来たでしょう。
それは、もちろん大切なことです。
けれど、私たちは「主に語ること」だけでなく「主を語ること」をも学ばなければなりません。
「大いに苦しむとき」には、自分がどのような思いでいるのか、自分が何をされたのか、どのような状況に置かれているのかを並べ立てたくなるものです。
もちろん、主にすべてを申し上げるのは悪いことではないでしょう。
しかし、覚えてください。
主は、あなたの状況を完全に理解しておられます。あなたに聞かなくても、すべてを知ってくださっています。
知らなければならないのは、いつも「私たち」の方です。
ですから、あなたの「信じている方」を語ってください。
主が「どのような方」であるのかを語るのです。
「イエス様は道です。真理です。いのちです」
「主は、いやし主です」
「主は、怒るのに遅く恵み豊かです」
「力ある主、助け主、贖い主、主の御名を呼び求めます」
「信じていること」を声に出して宣言しましょう。
それは、私たちの「信仰」を呼び覚まします。
あなたが「主の御名を語る」ならば、あなたの信仰は「ますます呼び覚まされ」ます。
あなたは、大胆に宣言する信仰の勇士となるでしょう。
私は、主を語ります
主の豊かな恵みを語ります
勝利を取られた主イエスを語ります