ヘブル4:14
さて、私たちには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
主イエスは偉大な大祭司です
イエス様は、今、私たちの「偉大な大祭司」です。
もろもろの天を通られた「神の子イエスという大祭司」です。
私たちが「大胆に恵みの御座」に近づくことができるのは、この大祭司がおられるからです。
イエス様は、私たちの「告白の大祭司」と呼ばれます。
この箇所を直訳するとこんな感じです。
「考えなさい。使徒であるイエスのことを、そして、告白の大祭司であるイエスのことを」
イエス様は、私たちの「告白の大祭司」なのです。
ですから、私たちは「告白」と真剣に向き合う必要があります。
イエス様は、天において「とりなし」をしてくださっています。
それは、もちろん「罪を犯したとき」の「とりなし」も含まれます。
しかし、それだけではないのです。
私たちの「告白」のすべてを「とりなし」てくださるのです。
ある人は言います。
「私たちが、『最悪だ。いつも悪いことばかり起こる』とつぶやいてばかりいるなら、キリストを天で困らせることになるだろう。」
確かに、私たちが「不平不満」「疑い」「失望」のことばを告白し続けるのなら、「告白の大祭司」であられる方を大いに悲しませることになるでしょう。
ヘブル人への手紙3章1節では、イエス・キリストを「私たちの告白する大祭司」と呼んでいます。~中略~
私たちがキリストのみことばを告白するとき、私たちの大祭司であるイエス・キリストは、私たちに代わって、私たちがみことばを告白するそのことばに従って働かれ、父なる神が私たちの告白している約束に答えてくださるようにとりなしてくださるのです。
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私たちの「告白の大祭司」は、私たちに同情できない方ではありません。
私たちの「弱さ」をすべて知ってくださっています。
あなたが苦しみの中で、主を見上げ「それでも信頼します」となんとか絞りだしたような告白であっても、大切に「とりなし」てくださいます。
ですから、私たちは「告白」を軽んじてはなりません。
「疑い」「不平不満」「失望」のことばを口から出さないように気をつけましょう。主が「悲しまれる告白」をしてはなりません。
イエス様が「告白の大祭司」であることを忘れてはなりません。
たとえ「だれかが罪を犯しても、御父の御前でとりなしてくださる方」がおられます。
とても落胆して、小さな声でつぶやくようにしか告白できなくても「すべて」の告白を拾い上げてくださる方がおられます。
私たちには「偉大な大祭司がおられる」のです。
「弱さに同情してくださる大祭司」がおられるのです。
ですから、今日も、私たちの信仰の告白を「堅く保って」歩みましょう。
告白の大祭司であるイエス様を感謝します
すべての「告白」を大切に扱ってくださる方を感謝します
主よ、私は大胆に恵みの御座に近づきます