エペソ6:16
これらすべての上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
悪い者が放つ火矢を消すことができます
「大盾」とは、兵士の身体がすっぽりと隠れるぐらいの大きな盾のことです。ローマ兵は、これを「帯」に固定し、地面に立てて用いたようです。
私たちにとって「信仰」こそ「身を覆う大盾」です
「これらすべての上に、信仰の大盾を取りなさい」とパウロは言っています。
「真理の帯」「正義の胸当て」「平和の福音の備え」を装備したうえに「信仰の大盾」を取らなければなりません。
つまり「信仰」は、すべてのものの上に働かせる必要があるということです。
私たちが「神の武具」を身に着け、神の兵士として歩もうとするなら、悪しき敵たちは「火矢」を放ってくるでしょう。
「火矢」の目的は、もちろん「燃やす」ことです。そして、もう一つは「恐怖」を与えることだそうです。
確かに「火矢」が飛んでくる光景は、想像するだけで恐ろしいものです。
敵たちは、私たちを「燃やす」つもりで火矢を放って来ます。
それは「中傷の火矢」「欺瞞の火矢」「拒絶の火矢」「失望の火矢」などです。
それらの「火矢」に当たると、私たちの心は「憎しみ」「怒り」「苦々しさ」で燃え上がります。
それらの火は、私たちを燃やし尽くすまでおさまりません。
そうして、私たちに残るのは「恐れ」「不安」「絶望」「自己否定」などの燃えカスです。
燃え残りを抱えた兵士は、もはや「戦力」にはなりません。「恐れ」や「不安」を抱えたままで「霊の戦い」に参戦することはできないのです。
見えているものが「すべて」ではないのです。
悪しき者の火矢が「目に見える形」で飛んできたとしても、あなたは「信仰」によって「すべての火矢」を消すことができます。つまり「信仰」によって「無効」にできるということです。
敵は、誰かの言葉を用いて、あなたに「火矢」を放って来るでしょう。
その「火矢」は、あなたを恐れさせるだろうと思います。
しかし、どうか覚えてください。
あなたを「怯えさせ」「尊厳を傷つける」ような言葉は、決して、主なる神から発せられることはありません。
そして、同時に「私たちの格闘は血肉に対するものではない」ことも忘れないでください。
あなたに「火矢」を放ったのは、目の前にいる「その人」ではなく「見えない敵」であることを覚えてください。
あなたは「その火矢」を無効化できます。あなたは「火矢」をすべて消すことができます。あなたのうちに「憎しみ」が燃え広がるのを阻止することができるのです。
「みことば」を信じなさい。
信仰は「聞く」ことから始まります。
あなたの耳に「みことば」を聞かせなさい。つまり「声に出して宣言する」のです。
信仰は、望んでいることを確証させるものですが、防御の「盾」にもなります。
信仰を「防御」のために働かせることもできるのです。
信仰を働かせるのは「今」です。そして、それは「これらすべてのものの上に」です。
私は「信仰」を働かせます
私は「火矢」をすべて消すことができます
すべての上に信仰を働かせます