エペソ6:15
足には平和の福音の備えをはきなさい。
それは、防御のためと長く歩き続けるためです
ローマ兵は、足にも武具をつけました。
それには2つの理由があったようです。
一つは、もちろん「足を防御するため」です。野球選手がボールに当たっても怪我をしないように「フットガード」をつけるのと同じです。
二つ目の理由は「力強く歩くため」です。
兵士は「長距離」を行軍します。彼らは「靴」によって足首とスネをしっかりと固定し、長い道のりを力強く歩き続けました。また兵士の「靴の底」には「鋲(びょう)」や「スパイク」が打ち込まれていて滑りにくくなっていたと言われています。
私たちにとっての「足の武具」は「福音の備え」です。
「備え」とは「準備していること」「用意のできている状態」という意味です。
私たちの武具は「平和の福音」です。
私たちは「平和の福音」を履いて信仰の旅路を歩み続けます。そして「平和の福音」が私たちの足を攻撃から守り、滑らないように固定するのです。
パウロは「福音を恥とはしない」と言っています。
なぜなら「福音」こそが「救いをもたらす神の力」だからです。
「福音」は、とてもシンプルです。それは「御子に関するもの」です。
パウロが伝えた「最も大切なこと」とは、主イエスの「死」と「葬り」と「復活」です。
そして、それこそ「福音」です。
私たちは、日々、主の「「死」と「葬り」と「復活」を心に留めなければなりません。
敵は、私たちの歩みを止められないのなら「元気を失わせよう」としてきます。
本来なら、聖徒は「喜びにあふれて、力強く」歩むことができるのです。
なぜなら「救いを得させる神の力」をいただいているのですから。
しかし、敵は、私たちの「道」に障害物を置きます。私たちが「つまずいたり」「転んだり」することを狙っているのです。
あまりに「障害物」が多いと、歩くのが「だんだん嫌に」なってきますよね。
そうして、私たちのうちから「元気が失われ」ていくのです。
「元気を回復する方法」は、ただ一つです。
「信仰の創始者であり完成者であるイエス」を見上げることです。
「死んで、葬られ、よみがえられ」た方を見上げるのです。
「平和の福音」を日々「装備」しましょう。
「福音」を心に留めることこそ「一日を生きるための備え」なのです。毎日「救いをもたらす神の力」をほめたたえましょう。
主は、私たちを「つまずかないように守る」ことがお出来になります。それだけでなく、敵の策略をも打ち砕かれます。
元気を失わずに歩きましょう。
私たちは「平和の福音の備え」を履いているのです。
「救いをもたらす神の力」が、今日も、あなたとともにあります。
私は福音を恥としません
主イエスから目を離しません
私の行くところ、どこにでも主がともにおられることを信じます