No.388 神の武具③ 足には平和の福音の備えをはきます

蜂と花

エペソ6:15
足には平和の福音の備えをはきなさい。

それは、防御のためと長く歩き続けるためです

ローマ兵は、足にも武具をつけました。

それには2つの理由があったようです。

一つは、もちろん「足を防御するため」です。野球選手がボールに当たっても怪我をしないように「フットガード」をつけるのと同じです。

二つ目の理由は「力強く歩くため」です。

兵士は「長距離」を行軍します。彼らは「靴」によって足首とスネをしっかりと固定し、長い道のりを力強く歩き続けました。また兵士の「靴の底」には「鋲(びょう)」や「スパイク」が打ち込まれていて滑りにくくなっていたと言われています。

私たちにとっての「足の武具」は「福音の備え」です。

「備え」とは「準備していること」「用意のできている状態」という意味です。

私たちの武具は「平和の福音」です。

私たちは「平和の福音」を履いて信仰の旅路を歩み続けます。そして「平和の福音」が私たちの足を攻撃から守り、滑らないように固定するのです。

ローマ1:16
私は福音を恥とはしません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。

パウロは「福音を恥とはしない」と言っています。

なぜなら「福音」こそが「救いをもたらす神の力」だからです。

「福音」は、とてもシンプルです。それは「御子に関するもの」です。

Ⅰコリント15:3~4a
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおり、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書かれているとおりに、三日目によみがえられたこと、

パウロが伝えた「最も大切なこと」とは、主イエスの「死」と「葬り」と「復活」です。

そして、それこそ「福音」です。

私たちは、日々、主の「「死」と「葬り」と「復活」を心に留めなければなりません。

ヘブル12:2a
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。

ヘブル12:3
あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。

敵は、私たちの歩みを止められないのなら「元気を失わせよう」としてきます。

本来なら、聖徒は「喜びにあふれて、力強く」歩むことができるのです。

なぜなら「救いを得させる神の力」をいただいているのですから。

しかし、敵は、私たちの「道」に障害物を置きます。私たちが「つまずいたり」「転んだり」することを狙っているのです。

あまりに「障害物」が多いと、歩くのが「だんだん嫌に」なってきますよね。

そうして、私たちのうちから「元気が失われ」ていくのです。

「元気を回復する方法」は、ただ一つです。

「信仰の創始者であり完成者であるイエス」を見上げることです。

「死んで、葬られ、よみがえられ」た方を見上げるのです。

「平和の福音」を日々「装備」しましょう。

「福音」を心に留めることこそ「一日を生きるための備え」なのです。毎日「救いをもたらす神の力」をほめたたえましょう。

主は、私たちを「つまずかないように守る」ことがお出来になります。それだけでなく、敵の策略をも打ち砕かれます。

ローマ16:20
平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。

元気を失わずに歩きましょう。

私たちは「平和の福音の備え」を履いているのです。

「救いをもたらす神の力」が、今日も、あなたとともにあります。

私は福音を恥としません
主イエスから目を離しません
私の行くところ、どこにでも主がともにおられることを信じます