No.382 掛け違えたボタンは正しく留め直す必要があります

シャツを着た子ども

マタイ6:33
まず神の国と神の義を求めなさい。これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

ボタンの掛け違いが起こっているのです

「神の国とその義を第一にする」ことについて、多くの人が「誤解」しています。

ラリー・リー牧師は、自分の時間の管理が間違っていたという証をしておられます。

私の時間管理に関して、優先順位は次のようになっていました。

第一に教会。
第二に学び。
第三に家族。
第四に祈りと神との交わり。
私はイエスが「神の国とその義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」とおっしゃったことを知っていました。ところが私は反対のことをしていたのです。私は神の国を求める代わりに、すべて「これらのもの」を求めるのに忙しかったのです。
一時間でも祈っていることができないのですか ラリー・リー著 マルコーシュ・パブリケーション

「教会での奉仕」を第一とすることは「神の国」を求めることの代わりとはなりません。

「献金」は大切ですが、それも「神の国」を第一にすることの代わりとはなりません。

誤解を恐れずに言えば「聖書の学び」でさえも「神の国を第一」とすることの代わりにはならないのです。

ローマ14:17
なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。

神の国とは「聖霊による義と平和と喜び」です。

私たちは、日々、御霊による「義と平和と喜び」のうちに留まらなければなりません。

私たちは、日々、御霊がうちにおられることを意識しなければなりません。

ヤコブ4:5~6a
それとも、聖書は意味なく語っていると思いますか。「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。

神は「私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」のです。

主は「聖なる交わり」を望んでおられます。

私たちの交わりとは「御父と御子と私(うちにおられる御霊)」との交わりです。私たちは御霊によって「聖なる三位一体の交わり」に入れられているのです。

「神の国とその義を第一にする」とは、この「聖なる三位一体の交わり」を第一にすることです。聖霊による義と平和と喜びの中に憩うことです。

優先順位の第一は「神との交わり」であるべきなのです。

主は、あなたが「交わり」に加えられることを望まれました。ゆえに「選んで」くださったのです。

それは「さらに豊かな恵みを与えてくださる」ためです。

たとえば、あなたはジャケットのボタンを段違いに掛けて、最後のボタンを掛けられなかった経験をしたことがないでしょうか。下を見降ろすとすべてが段違いになっていて、ボタンをはずして最初からやり直さなければならないことに気づくのです。人生もそのようなものです。もしあなたが神を優先順位の第一にしていないなら、その他のすべてのものが正しく並びません。あなたの健康、感情、ゴール、そして人間関係が的外れたものになってしまうのです。
一時間でも祈っていることができないのですか ラリー・リー著 マルコーシュ・パブリケーション

掛け違えたボタンは、もう一度、正しく留め直せばよいのです。

「神との交わり」以上に優先させるべきことはありません。

あなたの優先順位の第一は「神との交わり」ですか?

主よ、私を聖なる交わりに加えてくださったことを感謝します
あなたの臨在を慕い求めます
主ご自身だけを慕い求めます