創世記4:6
主はカインに言われた。「なぜ、あなたは怒っているのか。なぜ顔を伏せているのか。
怒って顔を伏せました。
カインは、怒りで顔を伏せました。
ある先生は「自分のへそを見るな」と言っていました。うなだれて、下を向いて自分のへそを見ていても、何の良い物も出ないと。
私の大好きな先輩が教えてくれた言葉があります。今でも時々思い出します。
人を見たら失望する。
自分を見たら絶望する。
しかし上には希望がある。
自分を見つめていても絶望するだけです。
人の心は「ねじ曲がっている」と聖書は言います。内側を見ても、さらに見ても知り尽くすことはできません。
この時、カインの心には何があったでしょう。その心にはアベルへの妬みがあふれていました。認めてくださらない神様への不平不満、怒り、頑張っても認められない失望と喪失感でいっぱいでした。
下を向いて、自分のへそを見つめていたところで、そこに救いを見つけることはできません。怒りを見続けてはいけません。何の益にもならないからです。ただ悪魔に機会を与えるだけです。
「わたしを仰ぎ見よ」と主は言われます。ただ主を仰ぎ見ればよいのです。そこにすべての救いがあるからです。
御子をさえ惜しまずに死に渡してくださった方が「わたしを仰ぎ見よ」と言われるのです。カインのように「顔を伏せて」はいけません。主の御顔を仰ぐのです。
確かに上には希望があります。そして、この希望は決して失望に終わることがありません。
私は主を仰ぎます。
顔を伏せません。
この希望は失望には終わりません。