No.361 どちらに「舌」を委ねるのか選択しているのです

ライラック

マタイ5:37
あなたがたの言うことばは、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。

不必要な言葉は悪い者から出ているのです

「それ以上のことは悪い者から出ているのです」とイエス様は言われました。

「悪い者」とは「悪魔」のことです。この箇所の「悪い者」という語には、原語では定冠詞がついているので悪魔のことを示しています。

「はい」と「いいえ」以外は必要がないとイエス様は言われました。

不必要な「ことば」というものがあるのです。発してはいけない「ことば」というものがあるのです。

主は、私たちの「一言一言」に耳を傾けておられます。

マタイ12:36
わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。

私たちは「あらゆる無益なことば」について申し開きをすることになります。つまり「無益なことば」は裁きの対象であるということです。

主は「無益なことば」を好ましいとは思っておられません。私たちの「そんなつもりはなかった」という「軽口」を、主は嫌っておられるということです。

なぜなら「無駄なことば」は悪魔から出たものだからです。

ヤコブ3:9~10
私たちは、舌で、主であり、父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出てくるのです。私の兄弟たち、そんなことが、あってはなりません。

「同じ口から賛美と呪いが出てくる」ようなことがあってはならないとヤコブは言います。

しかし、実際、私の口からは「賛美」と「呪い」が発せられていることを認めざるを得ません。

私の舌は「ちょっとしたウワサ話」をします。

私の舌は「はい、でも主よ、仕方がなかったのです」と言い訳をします。

私の舌は、よく考えることなく思いついたことを語ります。

私の舌は、いつも「本気」ではありません。「そんなつもりはなかった」と言うのです。

そのような「はい」と「いいえ」以外の「無益なこと」を語るとき、その「ことば」は悪魔から出ているのです。恐ろしい事実ですね。

私たちは、話すことを「選択」できます。私たちは、話すたびに「どちらに舌を委ねるか」を「選択」しなければならないのです。

何も考えずに「ことば」を発してはなりません。

一日の初めに「聖霊に舌を委ねる」ことが必要です。

私は、ずいぶん長い間、この問題を放置していたことを後悔しています。

「舌」が「死と生」を支配するということを、私は、もっと深く心に留める必要があるのです。

聖徒の発する「ことば」は、霊の世界に影響します。私は、悪魔のことばを発したいとは思いません。天からのことばを常に語りたいのです。

主は、あなたの愛らしい「ことば」を望んでおられます。あなたの「賛美」を望んでおられます。あなたの「誠実なことば」を望んでおられます。

私たちは「心に留めるべきこと」を慎重に選ばなければなりません。心に満ちていることを「口は話す」のです。

神の思い以外を心に留める「余裕」など私にはありません。神の持たれる望みだけで私の心を満たしたいのです。

そうすれば、私の「舌」は、常に御霊のことばを語るようになるはずです。

私は、御霊のことばを語ります
聖霊様に舌を委ねます
主の思いで満たしてください