No.359 「ど真ん中に」立って対抗しなさい

豆の畑

Ⅱサムエル23:12
彼はその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。

シャンマはダビデの勇士です

ダビデには「勇士」と呼ばれる立派な兵がいました。

アラル人アゲの子シャンマも勇士の一人です。

Ⅱサムエル23:11~12
彼の次はアラル人アゲの子シャンマ。ペリシテ人が隊をなして集まったとき、そこにはレンズ豆が豊かに実った一つの畑があった。兵はみなペリシテ人の前から逃げたが、彼はその畑の真ん中に踏みとどまってこれを守り、ペリシテ人を討った。主は大勝利をもたらされた。

シャンマの活躍は、他の勇士とは少し違うように思えます。

ほかの勇士たちは「槍を振るって800人を刺し殺した」とか「手が剣にくっつくまでペリシテ人を討った」などと記されています。彼らは戦場で勇敢に戦ったのです。

しかし、シャンマの戦いは戦場ではなく「レンズ豆の畑」でした。

「兵はペリシテ人の前から逃げた」と記されています。兵隊が「任務の最中」に逃げ出すなんて、あまり考えられないので、その日、彼らは「戦うつもりはなかった」のだろうと思います。

もしかすると「兵」ではなく「民」であったのかもしれません。以前の新改訳では「民はみなペリシテ人の前から逃げた」と訳されています。

いずれにせよ、予期せぬ戦いであったのだろうと推測できます。

「戦場」でなくても戦いは起きます。ペリシテ人は「奇襲」をかけてきたのです。もしかすると「豆の収穫」も狙いのうちだったのかもしれませんね。

シャンマは、みなと一緒に逃げませんでした。彼は「レンズ豆の畑」の真ん中に立って敵に立ち向かったのです。彼は「これを守り」と記されています。つまり、彼は「レンズ豆の畑」を守るために踏みとどまったということです。

たかが「レンズ豆の畑」です。城壁が崩されるなら「一大事」でしょう。神殿に危害が加えられるとなれば、みな必死で立ち向かったかもしれません。

しかし「レンズ豆の畑」は命をかけるほどのものでしょうか。

少なくとも「逃げた兵たち」にとっては、命の方が大事であったことは間違いありません。

「レンズ豆の畑」は「取るに足りない」ように見えたかもしれません。しかし、その「小さな敗北」が「大きな敗北」の入り口となるのです。

シャンマがどのようにして戦ったのかはわかりません。「槍を振るった」とも「剣で討った」とも記されていません。もしかすると、何も持っていなかったのかもしれません。

しかし、どのようにしてかは分からないけれど「主は大勝利をもたらされた」のです。

Ⅰペテロ5:8
身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吠えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。

私たちの敵も「奇襲」をしかけてきます。思いがけないときに襲ってくるものです。ですから「目を覚ましていなさい」と勧告されているのです。

Ⅰペテロ5:9
堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存知のように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。

「豆の畑」の「ど真ん中」にしっかりと立ちましょう。私は「私の小さな持ち場」に踏みとどまらなければなりません。

「武器を持ってない」「準備ができていない」と慌てふためいてはなりません。もちろん、日々「目を覚ましている」ことは重要です。

しかし、たとえ「不意打ち」のように思える攻撃を受けたとしても、最も大切なことは「踏みとどまる」ことです。

そして「踏みとどまる」ためには、自分が「主の兵士」であるという自覚が必要です。シャンマが「ダビデの勇士」であるならば、私たちは「主の勇士」です。

主の勇士よ。「堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい」

そうすれば、主が大勝利をもたらしてくださいます。

私は堅く信仰に立ちます
私は恐れ退く者ではありません
私は信じていのちを保つ者です