Ⅰペテロ2:1~2
ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨て、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
捨ててから、慕い求めるのです
生まれたばかりの乳飲み子が乳を慕い求めるように、私たちも「みことば」を求める思いを持っているのです。
本来ならば「霊の乳」を慕い求めることによって、私たちは「成長」するはずです。
けれどなぜか「いくら学んでも成長しない」ということが起こってしまいます。
これは、まったく恐ろしい状態です。「学んでいるのに真理を知ることができない」というようなことが実際に起こるのです。
「みことば」をただ「知識を増すため」に学ぶのであれば、それは「見かけは敬虔である」だけです。
「みことば」の力は、私たちのうちには働かないでしょう。
私たちは、まず「捨て去る」ことが必要なのです。
「成長」に不要な思いを捨て去らなければなりません。
「みことば」を「知識」として得るだけならば、私の心に生じるのは「高ぶり」だけです。
私の心に生じたものが「高ぶり」であるならば、悲しいけれど、私は全く「成長していない」と言わざるを得ません。
体に悪いものを「口にしたくない」と私たちは思います。「不健康なもの」「添加物にまみれたもの」を食べないように気をつけている人も多いでしょう。
それならば「心」にも「不必要なもの」「成長を妨げるもの」を入れないように注意するべきですよね。私は、もっと「自分の心」に気を配るべきなのです。
大切なことは「正直になること」です。
「すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口」を捨て去ることです。それらは私には「不要」だと認めることです。
そうしてから「純粋な、霊の乳を慕い求める」ならば、おそらく「成長の速度」が早まるだろうと思います。
「神のことば」である「純粋な、霊の乳」には「力」があります。それは「生きていて」「成長させる力」があります。
「みことば」には何の問題もありません。問題は「すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口」を持ち続けたままでいることです。それが私の「成長」を阻んでいるのです。
愛する兄弟姉妹。
私たちは「互いに成長すること」を求めましょう。不必要なもの、成長を阻むものを捨てて、ただ「純粋な、霊の乳」を慕い求めましょう。
主のみことばによって新しく生まれたことを宣言します
成長を妨げているものをお示しください
主の恵みを感謝します