No.339 神の御前に心を注ぎだすなら

心を注ぐ

詩篇62:8
民よ どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎだせ。神はわれらの避け所である。

主が引き寄せておられるのです

ハンナには「募る憂いと苛立ち」がありました。自分が「不妊」であることを嘆いていたのです。

Ⅰサムエル1:6
また、彼女に敵対するペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りを掻き立てた。

「主がハンナの胎を閉じておられた」と記されています。つまり、ハンナには「どうすることもできない」のです。自分で「どうすることもできない」ことが「憂い」の原因であるとすれば「苛立ち」が募るのも無理はないと思えます。

Ⅰサムエル1:10
ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。

募る「憂いと苛立ち」は、ハンナに「心の痛み」を与えました。そして、その「心の痛み」が、ハンナを祈りへと駆り立てたのです。

主がハンナを「心の痛み」を通して、ご自身に引き寄せられたのだと私は思います。

Ⅰサムエル1:11
そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ、もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」

このハンナの請願は、主によって引き出されたものであると私は信じます。主は、私たちの「心の痛み」を通して「献身」を引き出すことがあると私は思うのです。

ハンナの「心の痛み」は、他の人には理解できませんでした。夫のエルカナも理解できませんでした。大祭司エリは、その声にならない祈りを「酒に酔っている」と誤解しました。

Ⅰサムエル1:15
ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んでおりません。私は主の前に心を注ぎだしていたのです。」

祈り終わったハンナの顔は「もはや、以前のようでは」ありませんでした。「心を注ぎだす祈り」は、人を変えるのです。

主は「預言者サムエル」を産み出すことを決めておられました。ハンナの「胎が閉じられていた」ことは、主のご計画のうちでした。「ハンナの痛み」から注ぎだされる祈りを、主は待っておられました。

ハンナの「心の痛み」から「最後の士師である預言者サムエル」は産み出されたのです。

あなたには「心の痛み」がありますか。

「募る憂い」と「苛立ち」で怒りが掻き立てられるようなことがありますか。

自分では「どうしようもない」ことで苦しい思いをすることがあるでしょうか。

あなたの抱える「心の痛み」は、主の招きであることを覚えてください。

主はあなたに「心を注ぎだして」欲しいと待っておられます。

おそらく、あなたの抱える「心の痛み」は個人的なもので「リバイバル」とは全く関係がないと思えることでしょう。

しかし、ハンナの「個人的な祈り」が「イスラエルの預言者」を産み出したように、あなたの「個人的な祈り」も「何か」をもしくは「誰か」を産み出すことにつながるのです。

ただ御前に「心を注ぎだして」祈ってください。誰も理解してくれなくても、主があなたの祈りを待っておられます。声にならない祈りであっても、主はすべてを理解してくださいます。

詩篇62:8
民よ どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎだせ。神はわれらの避け所である。

主は、あなたの「心を注ぎだす」祈りを待っておられます。

私は御前に心を注ぎだします
主よ、どうか引き寄せてください
あなたのご計画をすべて受け入れます