ヨハネ6:63
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。
足りないのは息です
「干からびた骨」にエゼキエルが「主のことば」を預言すると、骨と骨が互いにつながりました。
エゼキエルが「主のことば」を宣言すると「干からびた骨」に変化が起こりました。
ただの「骨」ではなく「干からびた」骨に「筋が付き、肉が生じ、皮膚でおおわれ」立派な身体になりました。
これは奇跡ですね。「干からびた骨」は「主のことば」によって再び肉体となったのです。
しかし、それで終わりではありません。まだ「足りないもの」があったのです。
その肉体の中には「息はなかった」のです。
「干からびた骨」には「主のことば」が必要です。「主のことば」を宣言することによって、私の「干からびた幻」は、再び「動き出す」ことができるようになりました。
「主のことば」によって、私たちは再び元気をだして歩めるようになります。
しかし、それだけでは「足りない」のです。私たちの中に「息」がなければ、すぐに失速して、また動けなくなってしまうでしょう。
「主のみことば」によって「干からびた骨」でなくなったならば、次は「聖霊の満たし」を求めるのです。
「いのちを与える御霊」がおられないなら、それは「肉」にすぎません。そして「肉は何の益も」もたらさないのです。
元気を取り戻したとしても少し待ちなさい。立派に外観が整っても満足してはなりません。「すべてがそろった足りない物はない」からと言って動き出してはいけません。
「その中に息が」なければ本当の意味で「生きる者」ではないからです。
「主のみことば」を宣言すると「干からびた骨」のようであった「望み」が再び形を帯びてきます。
そうすれば、次は「息に預言する」のです。
「いのちを与えるのは御霊」であることを覚えてください。
私たちには「望み」を実現する力はありません。「心に植え付けられた望み」は、責任を持って御霊が実現してくださいます。
「望み」が復活したならば「息」を求めます。聖霊様の満たしを切に求めます。
「息」が入ると「生き返る」のです。そして、私たちは「すべて主の御業」であることを知るのです。
主が「成し遂げて」くださいます。私は、ただ御霊の満たしを切に求めるだけです。
聖霊の御力の偉大さを現わしてください
その圧倒的な御力を体験させてください
聖霊様の満たしを切に求めます